ラムセス2世のオベリスク (農業博物館) オベリスク全リストへ戻る

大きな地図で見る          cairo_metroは地下鉄駅を表す記号です

現在地:  エジプト、ギザ、ドッキ
北緯
30°02′45.8″(30.046049) 東経31°12′36.1″(31.210043)
創建王:  複製品
高さ:  約2.2メートル
石材:  不明

場所について:
 農業博物館は1938年に設立されたもので、広い敷地の中には7種類のテーマ別の博物館があります。特に古代エジプトの農業博物館が有名です。筆者がこの博物館を訪れたきっかけは1枚のウェブサイトの写真でした。museum、obeliskなどをキーワードにして検索していたら、農業博物館のページの存在が分かったのです。

農業博物館のオベリスク博物館の中庭に立つオベリスク(北西側から撮影)

 このウェブサイトには、博物館の中庭と思われる場所にヒエログリフが彫られた1本のオベリスクが立っている写真が掲載されていたのです。農業博物館のサイトには他にも古代エジプトの彫像の写真が掲載されていましたし、農業博物館は古い歴史を持つ国立の大きな博物館ですので、このオベリスクは世に知られていない本物かもしれないと考えたのです。ただ残念ながらこのウェブサイトの写真は解像度が低く、碑文の内容までは判読できず、確証がもてません。
 そのため、国内の旅行社を通してミスル・トラベルに問い合わせたところ、すぐに「あのオベリスクはレプリカだ。」という答えが返ってきました。その理由として「本来のオベリスクには一人の王の名前しか書かれていないが、あのオベリスクには多くの王の名前が彫られているから。」ということが付け加えられていました。これでレプリカらしいことは分かりましたが、カイロを訪れたついでに、このオベリスクも見てみようと、訪問先リストに組み入れたのでした。
 ここを訪れる外国人はほとんどいませんが、カイロ市内の小学校はこの博物館の見学をカリキュラムに組んでいるようで、その存在自体はカイロの市民には良く知られています。私がタクシーで博物館に行ったときには、「あの博物館は小学生が行くところだ。外国人が行くのは珍しいよ」と言われました。
 博物館の中庭には小型のスフィンクスや王の石像なども立っています。また「古代エジプトの農業博物館」の中に入ると色々な石像が立っているのですが、特に建物の中に展示されているものは完成度が低く、一見して子供向けの展示品と分かるものでした。この博物館にはエジプトの古代遺跡から採取された穀物のコレクションなどがあるようですが、筆者は後の予定があったために展示品の参観はしていません。

2本のオベリスクの南面2本のオベリスクの南面

行き方:
 エジプトの博物館は年中無休のところが多いのですが、農業博物館は金曜日の他に月曜日も休館日ですので注意が必要です。農業博物館はカイロのダウンタウンとギザの間にあるドッキと呼ばれる地域にあります。ギザに向かう地下鉄2号線のDokki駅が最寄駅です。駅の西側に立体交差になっている大通りが見えますが、高架になっているAl Dokki Streetを北に700mほど行ったところになります。
 あまり行きやすい場所ではないので、タクシーを利用するのが得策ですが、外国人が行く観光地ではないので、タクシーの運転手に英語でAgricultural Museumと言っても通じないことが多いと思います。ホテルのコンシェルジュにドッキの農業博物館に行きたいと言ってタクシーを頼んでもらうか、アラビア語で農業博物館と書いたメモをもらうのが良いと思います。


ペアのオベリスクの碑文の方向
2本ペアのオベリスクの碑文の方向の原則

碑文の比較
碑文と打痕の比較

オベリスクについて:
 農業博物館の入口から近いところに、このオベリスクは立っていました。農業博物館を紹介したウェブサイトでは1本だけが写っていますが、実際には2本ペアのオベリスクでした。
 また、事前に得ていたミスル・トラベルからの情報では、このオベリスクには多くの王の名前が彫られているとのことでしたが、実際に見てみるとそのようなことは無く、見慣れたラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名だけが彫られていて、その他の王の名前は見当たりませんでした。しかも修復された跡が見られ、色は赤色花崗岩に似ています。見た限りでは偽物には見えないオベリスクでした。
 ミスル・トラベルから得ていた情報がまったくいい加減なものであったことから、模造品なのか本物なのか判然としないままに帰国したのですが、このオベリスクが模造品であることは帰国後に撮影してきた写真を詳しく見ていてようやく分かりました。
 左側の写真は2本のオベリスクを南側から撮影した写真を元に、2本がほぼ同じ大きさになるように縮小して並べたものです。一見して同一内容の碑文が同一の向きに彫られているのが分かります。2本ペアで建てられたオベリスクは、側面のヒエログリフはいずれも神殿の奥の至聖所の方向を向いていますので、これ自体は珍しいことではありません。ところが他の方向から撮影した写真も見ても、2本のオベリスクの碑文はいずれも同一の方向を向いているのでした。古代エジプトでは対称性が非常に重んじられたので、ペアのオベリスクに4面共に同一方向を向いた碑文が彫られることはありません。少なくとも正面と背面の碑文は対称となるはずなのです。疑問を抱いたのはこれに気付いた時でした。
 さらに右側の写真は、南面のラムセス2世の誕生名のカルトゥーシュの付近を拡大したものです。2本のオベリスクには丸い打痕のような傷がついているのですが、2本を見比べるとまったく同じ場所に傷があるのです。偶然ではこうはならないので、2本のオベリスクは2本ともに同じオベリスクから複製されたのではないかと思われるのです。
 ここまで分かったところで、今度は2本の元になったオベリスクを探してみました。ラムセス2世のオベリスクはたくさん残っていますが、比較的小型のオベリスクで、4面共に碑文があるものは限定されてきますので、ヌビア博物館の入口に立っているラムセス2世のオベリスクがオリジナルであることは間もなく分かりました。碑文の損傷や打痕を比較して農業博物館のオベリスクの南面はヌビア博物館のオベリスクの東面のコピーであることも確認できました。
 ヌビア博物館に今は展示されているラムセス2世のオベリスクは、移築される前のアブシンベル神殿の南側にあった岩窟礼拝堂の中にあったものです。ラビブ・ハバシュの「エジプトのオベリスク」には、このオベリスクがカイロのエジプト博物館に展示されている頃の写真が掲載されています。おそらくエジプト博物館に保存されている頃にレプリカが作られたのでしょう。
 最終的にレプリカであることが判明したのですが、ここまで忠実に傷跡まで含めて複製されたオベリスクは珍しいです。オリジナルのものに比べてレプリカは彫刻の縁が丸みを帯びて不鮮明になっています。おそらくシリコンゴムなどで型を取って、型に着色したセメントを流し込んで複製を作ったのではないかと思います。農業博物館に展示するために特別に作られたレプリカではないかと筆者は考えています。

撮影メモ:
 1枚の写真をたよりに、農業博物館の場所を探して、現地を訪れたうえでオベリスクの現物を確認し、さらに、各地で撮影したラムセス2世のオベリスクの写真と見比べて、ヌビア博物館に立っているオベリスクのレプリカであることが分かりました。やはり現地を訪れてみないと分かりません。好奇心を満足させてくれる楽しい作業でした。結果がはっきりして良かったです。

agri_south.jpg
農業博物館のオベリスク(南面)

agri8.jpg
2本の比較 左:農業博物館 右:ヌビア博物館

nubian1_east.jpg
ヌビア博物館のオベリスク(東面)

農業博物館:2014年8月6日 ヌビア博物館:2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org