セティ1世のオベリスク (アレキサンドリア) オベリスク全リストへ戻る

大きな地図で見る

現在地:  エジプト、アレキサンドリア、ローマ劇場跡
北緯
31°11′41.2″(31.194783) 東経29°54′12.1″(29.903372)
創建王:  セティ1世(新王国第19王朝,在位,紀元前13世紀)
高さ:  台座を除き4.0メートル
石材:  黄色珪岩
創建王:  セティ1世(新王国第19王朝,在位,紀元前13世紀)
高さ:  断片 1.44メートル
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 オベリスクが立っているローマ劇場跡はアレキサンドリアでは有名な観光地の一つとなっています。この遺跡は1960年に政府関係の建物の建築工事の際に偶然に発見されたものです。ポーランドの地中海考古学センター、ワルシャワ大学とエジプトの考古学最高評議会が合同のプロジェクトを作って発掘調査を行い、円形劇場の存在が明らかになりました。円形劇場の北側にはローマ浴場の跡も発見され、さらに北側のエリアは現在も発掘調査が続けられています。
 円形劇場は4世紀に建設されました。当時のエジプトはローマ帝国の属州となっていて、アレキサンドリアはその中心的な都市として栄えていました。円形劇場は直径が約33mで、中央のステージを取り巻くように客席が作られています。イタリア以外のローマ帝国の領土であった地域ではローマ劇場の遺跡はさまざまな場所で発見されていますが、その中ではさほど規模が大きいわけではありません。しかし、6世紀にイスラム勢力によってアレキサンドリアが占拠されて間もなく放棄されるまで、約300年間は劇場として使われていて、保存状態はかなり良好です。
 この円形劇場の西側に野外博物館が作られています。野外博物館といってもオベリスクやスフィンクス、石柱などがならべられているだけです。この野外博物館はエジプト考古学最高評議会の依頼によって2005年に作られたもので、フランスのアレキサンドリア研究センター(Centre d'Études Alexandrines)(略称CEAlex)が1992年から行っているアレキサンドリアの沿海の海底の遺跡の調査の成果が展示されています。

円形劇場の遺跡 円形劇場と野外博物館
奥の右側にオベリスクが見える


 CEAlexのウェブサイトの説明では、CEAlexが海底の探査を行っている地域は、カイト・ベイ要塞の遺跡の真北約800mの地点を中心とした東西の幅2km、南北の幅1.5kmほどのエリアです。アレキサンドリアの大灯台の跡に建てられたカイト・ベイの要塞よりも北側のため、現在のアレキサンドリアの海岸線からみるとかなり沖合いなのですが、古代にはここも陸地で、その後の地震で地盤が沈降して海に沈んだようです。野外博物館の説明では2007年7月末までに1.3ヘクタールの範囲の、水深2.6から8.5mの海底で2845個の断片が記録されたと書かれています。
 アレキサンドリアの東側約20kmのアブキールの沖合いには、新王国時代に栄えていたヘラクレイオンの遺跡が沈んでいますので、この地域は大規模な地震のたびに地盤が沈降していることが分ります。三浦半島や房総半島は大地震のたびに隆起していますが、これと逆の現象と考えれば分りやすいかもしれません。

OBELISK OF SETI I
On each side of this obelisk of Seti I can be read the three first names of the royal titulary. Reemployed under Ramses II and then removed to Alexandria, it was the object of restorations as can be seen by the numerous fixing slots it bears.
The pyramidion was mounted upon a cavity that is still filled with lead. After being dismantled its base was cut up. Two other fragments still under water could be added to this ensemble.

OBÉLISQUE DE SÉTHI 1er
Sur chaque face de cet obélisque de Séthi 1er se lisent les trois premiers noms de la titulature royale.
Usurpé par Ramsès II, puis déplacé jusqu'à Alexandrie, il a subi des restaurations dont témoignent les nombreux scellements qu'il portent; de même, le pyramidion était assemblé grâce à une cavité encore remplie de plomb.
Après son démantèlement, sa base a été découpée. Deux autres fragments encore immergés pourraient venir compléter ce montage.

OBELISK OF SETI 1
On each side of the obelisk of Seti 1, read the first three names of royal titles.
Usurped by Ramses II, then moved to Alexandria, he underwent restorations with many seals that bear witness; likewise, the pyramidion was assembled with an even cavity filled with lead. After its dismantling, its base was cut. Two other still submerged fragments could complement this set.

行き方:
 エジプト国鉄のアレキサンドリア駅から円形劇場のある野外博物館の入口までは200mほどですので、歩いていくのが良いでしょう。駅の出口の前は広場になっていますが、駅から出て広場の右側、方角で言えば北側に歩いていけば、フェンスで囲まれた円形劇場の遺跡が見えてくると思います。Google mapの衛星写真では円形劇場が駅の北側に見えていますので、事前にアレキサンドリア駅と円形劇場の位置関係を知っておけば迷うことは無いでしょう。円形劇場と野外博物館はじっくり見ても2時間以内で参観できると思います。

オベリスクについて:
●セティ1世のオベリスク(A)(上部および台座)
 ここには新王国時代第19王朝のセティ1世(在位:紀元前13世紀)のオベリスクが2本展示されていました。このうちの1本はCEAlexのウエブサイトにも記載されているので、野外博物館に展示されていることは事前に分っていました。
 セティ1世の2本のオベリスクのうち、CEAlexのウエブサイトに掲載されている方は1995年に引き揚げられたもので、4個の断片からなっています。失われているピラミディオンのすぐ下から3個の断片で構成されるオベリスク本体部と、台座の分の石で再現されています。現在のオベリスクの本体は高さは4.0mですが、オベリスクの下半分が失われているので、本来の高さは8mと推定されています。また、このオベリスクは2本ペアで立っていたもので、他の1本はまだ海底に残されているとのことです。
 オベリスクは四隅が大きく削られていて円柱状になっています。材質が変成岩の珪岩で脆いのと、海底に横たわっていたので侵食を受けた結果と思われます。このため碑文は一部しか判読できません。しかし台座の岩のヒエログリフはかなり残っているのでセティ1世の即位名や誕生名を確認することができます。台座にはこのオベリスクがヘリオポリスの神々に捧げられたことが書かれているようです。
 野外博物館の説明はフランス語、アラビア語、英語の3ヶ国語で書かれています。このオベリスクの説明文の英語、フランス語、フランス語文のGoogle機械翻訳による英語を参考までに掲載します。この説明文などによれば、このオベリスクはラムセス2世によってアレキサンドリアに運ばれてきたもののようです。

alexandria1_south.jpg
南面

alexandria1_east.jpg
東面

alexandria1_west.jpg
西面

alexandria1_north.jpg
北面
2016年4月28日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

●セティ1世のオベリスク(B)(断片)
 野外博物館にはセティ1世のオベリスクの断片がもう1本展示されています。こちらはセティ1世ホルス名の途中で切れていますので、ピラミディオン部を除いたオベリスクの最上部の断片と思われます。材質は一見して赤色花崗岩であることが分りますので、上記のオベリスクとペアのものではありません。この断片の高さは1.44mで、太さは73cm×71cm、重量は2.09トンと説明文には記載されていました。
 このオベリスクの英文の説明は一部が汚れていて判読できませんが、フランス語の説明は完全に読めるので、その文面とGoogleの機械翻訳の英文を掲載しておきます。この説明によれば、このオベリスクも元はヘリオポリスにあったものと見られます。スフィンクスの形をした王がラーホルアクティ神に貢物を捧げている独特な構図が上部に描かれています。ピラミディオンは失われているものの、金属製のピラミディオンを取り付ける切込みが残っていると記述されています。
 このオベリスクは置いてある場所が展示場の隅の方のため、正面と右面は撮影できましたが、左面は斜め前方からしか撮影できず、背面には回りこめなかったので撮影できていません。
 

alexandria2_front
正面

alexandria2_left.jpg
左面

alexandria2_right
右面

OBÉLISQUE DE SÉTHI 1er
Sur cet obélisque de Sethi Ier (1289-1278), le roi est représenté en sphinx. Alternativement à tête humaine et à tête séthienne, celui-ci fait une offrande à une divinité héliopolitaine; premier indice d'une provenance confirmée par les épithètes des cartouches qui identifient le roi. Des traces de débitage montrent l'enlèvement de la partie sommitale de l'obélisque, mais la feuillure qui servait à l'emboîtement du pyramidion en métal est encore visible en tête.

OBELISK OF SETI I
On this obelisk of Seti I (1289-1278), the king is represented by sphinxes. Alternatively human head and Sethian head, it made an offering to a god of Heliopolis; first indication of provenance confirmed by epithets cartridges that identify the king. Traces of breakdown show the removal of the uppermost part of the obelisk, but the rabbet which was used for the fitting of the metal pyramidion is still visible at the top.
2016年4月28日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

撮影メモ:
 アレキサンドリアの野外博物館にセティ1世のオベリスクがあることは分っていたのですが、野外博物館がアレキサンドリアのどこにあるのかが分らず、漠然とアレキサンドリア国立博物館の近くにでもあるのかと筆者は考えていました。実際には円形劇場の遺跡にあるということが分ったのは偶然で、2016年の4月にアレキサンドリアを訪れる時に立ち寄る観光地を調べていたら、円形劇場の訪問記のウェブサイトにそれらしい雰囲気の場所の写真があったからです。さらにGoolge Earthで円形劇場の場所を拡大して、投稿されている写真を見て、ここが野外博物館であることが確認できた次第です。
 円形劇場の遺跡はきれいに整備されているのですが、この施設の入口や、施設の説明文などのパネルはひどく古ぼけていて、何年も放置されたままであることがうかがわれます。展示品の説明文のいくつかは汚れて一部が判読不可能になっているものもありました。メンテナンスが不十分なことによって観光客の印象が悪化し、そのことによって客足が遠のくことにより、さらにメンテナンスが疎かになるという悪循環に陥っているように思われました。この現象はエジプトの史跡や公共施設について全般的に言えることで、大変残念に思います。


共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org