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アルルのオベリスク

現在地:  アルル、レピュブリック広場
北緯43°40′35.1(43.676419) 東経4°37′39.3(4.627595)
創建王:  エジプト王ではなく、ローマ人の模作
高さ:  オベリスクのみ 15.26メートル
基部では長さ(幅)が1.70mメートル
台座 4.55メートル
以上は1909年、Fassin および Lieutaud による測定値
オベリスクのみ 15.78メートル説もある
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 アルルは南フランスのローヌ川に面した町です。町自体よりも「アルルの女」という戯曲のためのビゼーの管弦組曲、あるいは同名のゴッホの絵画で名前を聞いた方も多いでしょう。ゴッホはアルルの滞在時期に300点以上の絵画やスケッチを描いています。歴史地区は昔の面影をよく残しており、ゴッホの絵画の「夜のカフェテラス」に描かれたカフェは、今でも現存して営業しています。
 この町は古代ローマの頃にローヌ川を遡ってガリアに入るための前進拠点となり、またガリアがローマの支配下となってからは、ガリアとの通商都市として栄えました。このためローマ時代の古代遺跡が残されていることが特徴で、1世紀末に建てられた円形闘技場や、4世紀に作られたローマ浴場などの遺跡がかなり良い状態で残っています。特に円形競技場は現在でも客席が設けられていてコンサートなどに使われています。1981年には「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」として世界遺産に登録されています。このため南フランスの主な観光地の一つとなっており、多くの観光客でにぎわっています。
 オベリスクのあるレピュブリック広場(place de la République)はアルルの中心といってもよい場所で、世界遺産のサントロフィーム教会(Cathédrale Saint-Trophime)の入口に面していますし、市庁舎もあります。

アルルのオベリスク全景 うしろがサントロフィーム教会の入口
左手は市庁舎


行き方:
 アルルにはSNCF - フランス国鉄で行くのが一般的かと思われます。パリのリヨン駅(Paris Gare Lyon)からTGV(テジェヴェ、高速鉄道)でアヴィニョン(Avignon Centre)あるいはニーム(Nimes)まで行き、アルル行きの列車またはバスに乗り換えます。リヨン駅を朝早く出れば昼ころにアルルに着きます。ただし列車の本数が少ないので事前に予約しておくほうが良いでしょう。
 アルルの町にはタクシーは少ないので、アルル駅から歴史地区までは徒歩で行くのが良いでしょう。駅からオベリスクのあるレピュブリック広場までは1km弱ですので、地図を見ながら歩いても15~20分程度です。途中にはゴッホの有名な絵画『夜のカフェテラス』(Le Café La Nuit)のモデルになったカフェ・ヴァン・ゴッホ (Café Van Gogh)があるフォーロム広場(Place du Forum)などがありますので、散策しながら行ってもいいでしょう。

オベリスクについて:
 このオベリスクは上部の先端に向かって細くなる独特の形をしています。その形から「l’Aiguille d’Arles」(レイギュイユダルル、アルルの針という意味)とも呼ばれています。こんな形になった理由は、制作年代が下がるからだと思われます。銘文(ヒエログリフ)がないのも、ローマ人の模作だからだと考えられます。
 石材については、青い斑岩と考えられていましたので、ヨーロッパ産だろうと思われていましたが、最近の研究ではアスワンから運ばれて来た赤色花崗岩だとされるようになっています。しかし Wikipedia 英語版では小アジア(いまのトルコ)産の花崗岩としています。
 このオベリスクはローマ帝国フラウィウス朝(Titus Flavius Domitianus)(治世は69年12月~96年9月)の頃の紀元70~80年頃、アルルのキルクロマン(Cirque romain、Roman circus、戦車レースのための円形競技場)のスピーナ(中央分離帯)にある折り返し点の標識に建てられたという説と、4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス2世(Constantine II 、在位 337-340年)によってキルクロマンのスピーナに建てられたという説があります。


土台につけられたヘラクレスの噴水 ヘラクレスの口からは以前は水が出ていましたが、現在は停まっています。水が上に向かって吹き上げなくても「噴水」といいます。うしろの時計塔兼鐘楼のある建物は市庁舎。左うしろは旧サンタン教会の入口

 ローマ帝国の頃には、オベリスクは円形競技場のスピーナの中央部に建てられるか、イシス神殿の近くに建てられるのが一般的でした。本国のみならず、ローマ帝国の支配下の属州の都市でも、円形競技場にオベリスクが建てられた事例は、アルル以外にもあります。イスラエルのカイザリアや、レバノンのティルスなどでも円形競技場の跡地でオベリスクが発見されていて、修復されて展示されています。
 なお、オベリスクが建てられたキルクロマンはレピュブリック広場から西南西方向に600mほど離れた、いまではアルル古代博物館(Musee de l'Arles et de la Provence Antique)と高速道路(E8D)とローヌ川に囲まれたあたりにありました。いまもアルル古代博物館の東側には半円形の地形が残っていますが、これはキルクロマンのなごりです。
 キルクロマンが6世紀に廃止されてのち、オベリスクは倒壊したようです。再発見の経緯についても諸説あり、1389年に付近の溝から2つに折れたオベリスクが見つかったという説や、15世紀後半~16世紀前半の頃に見つかったという説、年代は不明ながらローヌ川から回収されたという説まであります。
 オベリスクは発見されたあとも、しばらく放置されていたようで、アンフィテアトル(Amphithéâtre、古代ローマの円形闘技場)の跡地に建てる計画もあったのですが、1675年に、サントロフィーム教会と市庁舎に面したプラス・ロワイヤル(Place Royale、いまのレピュブリック広場)にオベリスクを再建することになりました。
 重い石材なので移動させるのに大変な苦労があったようで、技術者募集に応じた Jacques Peytret (地元アルルの彫刻家)と Claude Pagnon は移動に半年近くを要しました。オベリスクの土台(台座)は Jacques Peytret の手になるもので、四隅には石彫のライオンが配置され、翌 1676年3月26日に完成し、ときのフランス国王ルイ14世(Louis XIV、太陽王、在位 1643-1715年)に捧げられました。写真を見るとオベリスクは大きく二つの部分に分かれていたものが繋ぎ合わされ、さらに先端部分は産地の異なる石材によって補修されていることが分かります。
 台座の部分の石彫のライオンは 1829年、彫刻家アントワーヌ・ロラン・ダンタン(Antoine Laurent Dantan)作による青銅製のライオンに取り換えられました。また1866-1867年には台座の四方にヘラクレスの顔の噴水と周囲のプールが付け加えられました。なお、ヘラクレスの顔の噴水の彫刻はダンタン作かどうかは筆者には確認できていません。
 1981年にはサントロフィーム教会や古代ローマの遺跡など8か所が 『アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群』として一括してユネスコの世界遺産に指定されました。古代ローマの遺跡としては、アルルの円形闘技場や古代劇場などがリストに入っていますが、このオベリスクは古代ローマの遺跡にも拘らず世界遺産リストから漏れているようです。

arles_south2.jpg
南面

arles_west2.jpg
西面

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東面

arles_north2.jpg
北面

2017年4月28日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

アルル古代博物館とジャン・クロード・ゴルヴァン氏:
 2017年にアルルを再訪した時には、キルクロマンの跡地を訪れると共に、アルル古代博物館を訪れました。ここにはオベリスクの立つキルクロマンの模型があることが分かっていたからです。
 アルルの歴史地区からはローヌ川の川沿いの道を500mほど歩くと、キルクロマンの跡地で、現在は緑地になっている所に出ますが、その奥にアルル古代博物館は建っています。外装がブルーの近代的な建物です。規模はさほど大きくはないのですが、キルクロマンの模型は2種類あり、そのうちの一つは長さが5mほどもある巨大なものでした。この他にも、出土したローマ時代の大型の木造船を修復したものや、モザイクの床など大型の展示物があり見ごたえがあります。歴史地区からはかなり離れているので、観光客はここまで足を伸ばさないようですが、当日は近郊の小学生の団体が参観に来ていました。
 また、この博物館について調べていた折に知ったのが、フランスの建築学者であり考古学者でもあるジャン・クロード・ゴルヴァン(Jean Claude Golvin)氏です。同氏は近年は水彩画によって古代都市を再現する仕事をされており、アルル古代博物館は同氏に古代のアルルを再現するイラストやスケッチを多数発注したことがあることから、同氏の名前を筆者は知りました。
 同氏はウェブサイト、jeanclaudegolvin.comで一部の作品を公開されているのですが、TOPページを開くと、アルルのキルクロマンのイラストが、古代エジプトのカルナックのアメン大神殿のイラストなどと共に表示されます。この他にも古代ローマた古代エジプトの諸都市や、イスラエルのカイザリア、レバノンのティルス、トルコのコンスタンティノープル(イスタンブール)の円形競技場のイラストなどを見ることができます。アルルのイラストはANTIQUITY-Gaul-Arelateの順に辿っていけば見つかります。
 筆者はいくつかの円形競技場の跡地の遺跡を実際に訪れていますが、現地に行ってスピーナの中央に立っても、往年の様子を想像することはなかなか難しいので、ジャン・クロード・ゴルヴァン氏のイラストを見たときには大変感動しました。色々な古代都市のイラストは見ていて飽きることがありません。

arles_antique_museum
アルル古代博物館の外観
道路が湾曲しているのはキルクロマンの外形のなごり

model of roman arles
古代のアルルの市街地の模型、左下が北方向
キルクロマンは今の跡地よりはるかに広大だったようだ

Roman circus and Obelisk
キルクロマンの模型のスピーナの拡大写真
中央部にオベリスクが立っているのがわかる

2017年4月28日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

撮影メモ:
 筆者がレピュブリック広場をはじめて訪れた2015年5月1日は小雨まじりのあいにくの天気でしたが、再訪した2017年4月28日は晴天に恵まれました。レピュブリック広場はアルルの史跡地区の中心なので観光客が多く居ますが、オベリスクに興味を持っている人はさほど多くはありませんでした。


共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org