アビ・シェム王のオベリスク (ベイルート国立博物館) オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  レバノン、ベイルート、ベイルート国立博物館
北緯
33°52'42.5"(33.878464) 東経35°30'53.3"(35.514818)
創建王:  アビ・シェム王(中王国第12王朝に相当,在位,紀元前19世紀)
高さ:  約1.3m(台座を含む)
石材:  花崗岩

場所について:
 第一次世界大戦でオスマントルコが敗れた後に、レバノンはフランスの委任統治領となりました。博物館の建設計画は1923年にフランス当局によって開始され、博物館の建物の建設は1930年に始まって1937年に完成しましたが、フランス本国がドイツに占領されたことからフランスの委任統治が終了し、博物館がオープンしたのはレバノン共和国が独立した後の1942年になってからのことです。第二次世界大戦後は、ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれて、地中海有数のリゾート地として繁栄していましたが、1975年にキリスト教徒とイスラム教徒間で内戦が勃発し、1990年にシリア軍によって紛争が鎮圧されるまで混乱が続きました。内戦の期間には博物館の位置が戦闘の前線となっていたことから博物館は閉鎖され、収蔵品は地下室などに保管されましたが、15年間も劣悪な環境に置かれていたために、多くの収蔵品が損傷を受けました。また、博物館も民兵組織の兵舎などに転用されたために荒廃していましたが、1995年に博物館の復旧と改修工事が始まり、最終的に近代化された形で博物館が再開されたのは1999年10月のことでした。

ベイルート国立博物館
ベイルート国立博物館


 ベイルート国立博物館は、古代エジプトの閉花式パピルス柱を模した列柱が印象的な、非常に堂々とした建物です。博物館の収蔵品は10万点に及んでいますが、展示されているのは1300点ほどです。ビブロス、ティルスなどの遺跡で出土した青銅器時代、ローマ帝国時代の遺物などが展示されていますが、展示品のレベルは非常に高く、世界的にも優れた見ごたえのある博物館の一つと言えるでしょう。
 青銅器時代の出土品の中にはヒエログリフが書かれたエジプト様式の石像などがあり、古代エジプトとの交易を通じて、エジプトから非常に深い影響を受けたことが分かります。また、約700年間続いたローマ帝国の統治下の時代には、バールベックの巨大な神殿などが作られましたが、美しいモザイクなどの遺物などから、多数のローマ人と職人たちが居住していたことが伺われます。

行き方:
 内戦が長らく続いたレバノンには現在は鉄道はありません。ベイルート市は人口180万人の大都市ですが、公共交通機関はあまり発達しておらず、市内のバスの路線も多くないのでタクシーを利用することになります。ただ、タクシーは料金を乗る時に交渉し、降りる時に支払う方式のため、流しのタクシーを利用する時には注意が必要です。宿泊しているホテルからタクシーを利用する場合にはホテルのスタッフに頼んで行先を運転手に告げてもらうのと共に料金の交渉をしてもらうのが良いでしょう。
 なお、ベイルートでホテルを選ぶ場合には繁華街のハムラ地区が便利です。1991年に内戦が終結してからベイルート市内は復興が非常に進んでおり、今では内戦の傷跡はほとんどっていません。ハムラ地区には英語の通じるファーストフード店とかカフェが多数ならんでいるので便利です。他の中近東の都市に比べてベイルートの街は英語やフランス語の看板が目に付き、一般市民でも英語はかなり通じます。
 ベイルート市内の治安は概ね良好ですが、ハムラ地区から国立博物館は2kmほど離れているので、歩いて行くのは避けタクシーを利用するほうが賢明です。

博物館の説明文(英語)
INSCRIBED OBELISK WITH THE NAME OF ABI SHEMOU,
KING OF BYBLOS
Beloved of Herishef-Re
Limestone
Byblos (Temple of Obelisks)
19th c. B.C.

オベリスクについて:
 「レバノン」と「オベリスク」、「博物館」をキーワードにして検索すると、ビブロスのオベリスク神殿の記述はたくさん見つかるのですが、このオベリスクに関する記述はごくわずかです。博物館の中にヒエログリフが彫られたオベリスクが展示されていることは、写真も掲載されているのでかろうじて確認できるのですが、詳細はまったく分かりませんでした。
 ベイルート国立博物館に入ると1階の展示室の左側にこのオベリスクは立っていました。説明はアラビア語、フランス語、英語で書かれていますが、引用したように非常に簡単な内容でした。それでも、このオベリスクは紀元前19世紀のビブロスのアビシェム王のもので、オベリスク神殿の中に建っていたものであることが分かります。説明文には"Beloved of Hershef-Re"と書かれているのですが、おそらくこれは碑文に書かれているアビシェム王に対する形容であるものと思われます。ヘルシェフは日本では通常ヘリシェフと記述されていますが、羊の頭を持った神でオシリスやラーと同一視された古代エジプトの神の一人です。ということは、このヒエログリフの碑文はエジプトの神である「ヘリシェフ・ラー神によって愛されし者」としてアビシェム王の名前が書かれていることになりますから、エジプト様式のオベリスクとしてよいものと筆者は考えています。
 このオベリスクが作られた紀元前19世紀は、古代エジプトでは中王国時代第12王朝の頃に相当します。ヘリオポリスに残るオベリスクを建てたセンウセレト1世の治世の1世紀後で、センウセレト2世、センウセレト3世、アメンエムハト3世、アメンエムハト4世などの時代です。ファイユーム地方が開発されたのもこの頃ですし、センウセレト1世などは多くの神殿を建設し、エジプトは繁栄を取り戻した時代でした。おそらく造営のための木材として膨大な量のレバノン杉がビブロスから運び出されたことでしょう。またビブロスのフェニキア人にとっても、この頃はアムル人の侵略によって破壊された街や港を再興した時期でした。このオベリスクはこうした時代背景の中で作られたのです。
 残念ながら碑文のヒエログリフは彫刻が浅くて判然としません。また、一方の面にしか碑文は彫られておらず、他の面は無地のままです。ビブロスのオベリスク神殿には26本のオベリスクが残っていますが、筆者が見た限りではビブロスにあるオベリスクには碑文が残っているものはありませんでした。

撮影メモ:
 ベイルート市内では特に危険は感じませんでしたが、レバノンの隣国は内戦の続くシリアですし、レバノン自体もヒズボラの支配地域などがあり、ベイルート市も筆者が訪れた2015年5月には、外務省の危険情報では「渡航の是非を検討してください」の危険度レベルとされていました。(2015年9月より危険情報の表現が変わり「不要不急の渡航は止めてください」になっています。)このため、ベイルートの空港でも、ベイルート市内でも、欧米やアジアからの観光客はほとんど居ませんでした。団体旅行客は居なくて、レバノン各地の世界遺産やベイルート市内を周っていた時にも観光バスはただの1台も見たことがありませんでした。博物館もがら空きの状態で、参観者は数人しか居ませんでした。

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正面

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左側面

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右側面

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背面

2015年5月5日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org