ラムセス2世のオベリスク (カイロ、ゲジーラ島) オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  エジプト、カイロ、ゲジーラ島メッサッラ庭園
北緯
30°02′49.5″(30.047082) 東経31°13′39.7″(31.227693)
創建王:  ラムセス2世(新王国第19王朝,在位,紀元前13世紀)
高さ:  20.4メートル
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 ゲジーラ島はカイロとギザの間に位置するナイル川の中州の島です。オベリスクが立っている場所は小さな庭園になっていて入場料を徴収されます。庭園の入口にはアラビア語と英語の案内板があり、庭園の名前は、オベリスクの庭園を意味するMessalla gardenであると書かれています。Googleの翻訳でgarden of obeliskをアラビア語に翻訳したら、案内板の表題に書かれていたアラビア語になりましたので間違いないと思います。でもおそらくMessalla gardenという名前では全く通用しないでしょう。この庭園の南側のアル・アンダルス公園でさえもカイロの人はほとんど知りません。
 案内板によれば、この庭園はラムセス2世のオベリスクを展示するために1962年に作られ、面積は12,600㎡であるとのことです。庭園にはオベリスク以外にもホルス神の石像やラムセス2世の立像などが移設されています。
 ゲジーラ島には1961年に建てられた高さ187mのカイロタワーがあります。2009年に改装されて再オープンしたようです。私が宿泊していたラムセス・ヒルトンのバルコニーからはナイル川越しにカイロタワーとオベリスクが良く見えました。左の写真はホテルの部屋から撮ったカイロタワーとオベリスクです。オベリスクは左側の木立の中に立っています。手前の橋がナイル川にかかる10月6日橋です。カイロタワーに比べるとオベリスクはとても小さく見えてしまいます。

cairotower and obelisk
 ラムセス・ヒルトンホテルから見た
カイロタワーとラムセス2世のオベリスク


行き方:
 エジプト博物館などがある10月6日橋のたもとの広場を渡れば徒歩でゲジーラ島に行くことはできます。カイロ市内から10月6日橋を渡るときに橋の左側を通ればオベリスクが良く見えますので、迷うことはないでしょう。ただし、10月6日橋のたもとの広場周辺は信号がないロータリーになっているため、絶え間なく車が走っているので、徒歩で道路を渡ったり10月6日橋に行き着くのは、最初はかなり勇気が要るでしょう。突進してくる車の前を横切るのには間合いと言うかコツのようなものがあり、運転手の予期しない動きをすると非常に危険です。最初はエジプト人と一緒に道路を横断してコツを掴むようにしましょう。ただし慣れていないと命がけの行動なので、無理せずにタクシーで移動する方が賢明かもしれません。
 カイロ市内を流しているタクシーの運転手は、オベリスクというもの自体を知らないことが多いので、英語のobeliskのみならずアラビア語のメッサッラも通じないかもしれません。また、この地域はゲジーラ島よりも、ザマレクの方が分かり易いです。このため事前にホテルのコンシェルジュに、ザマレクのオベリスクという意味をアラビア語で紙に書いてもらい、10月6日橋を走っているときに、「あれだ」と教える方が確実に思います。あるいは近くのノボテル・カイロ・エル・ボルグというホテルは運転手も知っているので、タクシーに乗るときには「ZamarekのNobotel Cairo Hotelまで」と指示するのも良いかもしれません。

オベリスクについて:
 ラムセス2世(在位 紀元前1278~1212)がナイルデルタに建設したペル・ラムセスに建てたものではないかと考えられていますが、発見されたのはナイルデルタのサン・アル・ハガルにあるタニスの遺跡です。タニスの遺跡は大規模なアメン神殿や第3中間期の王の墓などから構成されていて、多くの石材がペル・ラムセスから運ばれて再利用されました。ラビブ・ハバシュの「エジプトのオベリスク」によれば、タニスではオベリスクの破片が23個発見され、22個にはラムセス2世の名前があったようです。タニスの神殿には5組のオベリスクが建てられたようですが、それ以外の建造物の石材にもラムセス2世のオベリスクの断片が用いられました。
 1956年の第2次中東戦争に勝利し、スエズ運河の国有化を果たしたエジプトは、1958年にはシリアと合邦してアラブ連合共和国を建国します。ナセル(ナーセル)はその初代大統領に就任しました。当時のエジプトは非常にナショナリズムが高揚していた時期で、諸外国の首都にはオベリスクなどが建てられているにもかかわらず、カイロ市内には一つも無かったことから、古代エジプトの大型建造物を市内に移築することが計画されました。メンフィスからラムセス2世の高さ11.4mの立像がカイロ中央駅前に運ばれたほかに、1961年にはタニスからラムセス2世のオベリスクが運ばれました。その後ラムセス2世像は2006年に大エジプト博物館の予定地に移設されましたが、オベリスクはそのまま残っています。このオベリスクは本体部分の高さが13.5mあり、台座を含めた高さは20.4mです。
 タニスにあったオベリスクは割れて断片になっていたので、欠損部分を補って修復されています。東面は補修部分が多い上に風化して碑文がほとんど消えかかっている所もあり、保存状態はあまり良くありません。他の3面は比較的良好ですが、いずれも下の方は石材が補われていて、碑文は途中で途切れています。各面共にラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名の順に碑文が書かれていて、王名の表記法は各面共通しています。誕生名以降の文章は面によって異なっています。

撮影メモ:
 現代のエジプト人は驚くほど古代エジプトの遺物に対する関心が希薄です。また、2011年の革命以降は外国人観光客が激減しているため、古代エジプトの遺跡はどこもがら空きの状態でしたが、このオベリスクのあるメッサッラ庭園には来客は一人もいませんでした。エジプト博物館から歩ける距離にあるにもかかわらず、ここまで観光客がいないのは残念でした。庭園の管理人の様子から見て、訪れる人は滅多にいないものと思われます。せっかく移築するのであれば、タハリール広場の中央とかエジプト博物館の前庭とかに建てれば多くの観光客の目に触れたのではないかと思います。

cairo_gezira_west.jpg
西面

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南面

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北面

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東面
2014年8月4日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org