ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  エジプト、カルナック、アメン大神殿第6塔門の南側
北緯
25°43′03.7″(25.717690) 東経32°39′30.2″(32.658399)
創建王:  ハトシェプスト女王(新王国時代第18王朝,在位,紀元前15世紀)
長さ:  約6メートル
石材:  赤色花崗岩

行き方: カルナックのアメン大神殿の第5塔門の南側になりますが、アメン大神殿の奥に向かうメインルートからここに出る道は分かりにくいので、アメン大神殿の最も奥のトトメス3世の祝祭殿まで見終わった後の帰路に、神殿の南側にある聖なる池に出て、ハトシェプスト女王の倒れたオベリスクの所に来るのが、一般的な参観コースのようです。付近には大きなスカラベの石像もあり、この場所は観光コースになっているので、団体のツアーできても見落とすことは無いでしょう。

場所について: このオベリスクは、現在も残っているハトシェプスト女王のオベリスクと対になっていたものです。現在残っているハトシェプスト女王のオベリスクは、第4塔門を過ぎた所の、神殿の奥に向かって見た時に左側(北側)に立っていますが、右側(南側)の倒れてしまったものがこのオベリスクです。ハトシェプスト女王のあとに復権したトトメス3世の治世下の時に、ハトシェプスト女王の2本のオベリスクは壁で囲まれてしまいました。
 このオベリスクはおそらく右側(南側)に倒れて、トトメス3世が築いた壁などの周囲の建造物を破壊して横倒しになっていたのだと思われます。1914年に撮影されたというアメン大神殿の航空写真がWikipedeiaに公開されていますが、これを見ると現在よりも北側に横たわっており、大神殿の外壁に乗っかるような形で倒れているのを見ることができます。なお、アメン大神殿の発掘は18世紀から続いていましたので、既にこの写真の時点でも本来倒れていた場所から移動されている可能性が高いです。

オベリスクについて: 現在立って残っているハトシェプスト女王のオベリスクとペアで作られたものですので、元々は第18王朝のトトメス2世が作り始めたものと考えられます。トトメス2世の生存中には完成せず、妻のハトシェプストが息子のトトメス3世の王権を実質的に奪って即位した後(在位BC1498~1483)に、アメン神殿に運んで建てたものです。
 残っているオベリスクは台座を含めると高さが30mもありますが、倒れた方のオベリスクは先端部の6mほどしか残っていません。わずかに全体の2割程度しか残っていないことになりますが、ラビブ・ハバシュの「エジプトのオベリスク」には「その破片の大部分は残っている」と書かれています。上記の1914年に撮影した写真では、現存する断片以外にはオベリスクを思わせる大きな断片は無いので、細かく割れてしまったのかもしれません。ラビブ・ハバシュはボストン、リバプール、グラスゴー、シドニーにも断片があると記述していますが、米国のボストンのMuseum of Fine Artsとシドニー大学付属のNicholson Museumにあることは筆者も確認できました。
 横倒しになって置かれているオベリスクは、正面は容易に撮影できますが、上側と下から撮影するのは難しく撮影を断念しました。また、背面は後ろに建っている壁との間隔が狭いので、斜めに写真を撮影しています。
 この倒れたオベリスクの背面を撮った写真は少ないのですが、背面の写真を詳細に見てみると中央部のハトシェプスト女王のホルス名の下側から王名が削り取られているのが分かります。ただ、女王のホルス名自体は残されており、なぜこのような削り方をされたのかは分かりません。

撮影メモ: 革命前のエジプト観光が盛んだった頃には、この倒れたオベリスクの周囲は観光客でいつも混みあっていて、他の観光客が写り込まないように写真を撮るのは難しかったのを記憶しています。ところが2014年の夏に現地を訪れた時には、他の観光客は数組しかいなかったので、このオベリスクの周囲はずっと無人でした。落ち着いて写真を撮れましたが、ここまで観光客が少ないのは残念に思いました。

ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク1
正面

ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク2
背面(先端側から撮影)

ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク3
背面(下側から撮影)
2014年8月8日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp