ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスク
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現在地: | ドイツ、ミュンヘン、州立エジプト美術博物館 北緯48°08'49.9"(48.147189) 東経11°34'06.2"(11.568401) |
創建主: | ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌス(古代ローマ貴族)(1世紀) |
高さ: | 5.6メートル |
石材: | 赤色花崗岩 |
場所について:
州立エジプト美術博物館はミュンヘンにあるバイエルン州立の博物館です。以前はレジデンツ(王宮)の一部が博物館として用いられていましたが、2013年6月に新たな建物に移転しました。写真のように大きな建物なのですが、エジプト美術博物館は建物の地下が展示スペースとなっており、建物の地上部分はHochschule fur Fernsehen und Film Munchenにも用いられています。
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エジプト美術博物館は建物の右側に作られた巨大な石造りの壁状の建造物の地下に入口があります。あたかもピラミッドの入口から内部に入るような印象で、博物館としては非常にユニークな作りになっています。さほど規模は大きくないですが「州立博物館」という言葉の響き以上に収蔵品は充実しています。古代エジプトのコーナーは、テーマ別に分かれており、ヒエログリフの時代による変遷などを説明した部屋や、古代エジプトの宗教観を説明する展示室があります。また、古代エジプト以降の、プトレマイオス朝、ローマ帝国時代の展示もあり、このオベリスクはローマ帝国時代のコーナーに展示されています。また、ヌビアの王朝に関する専門のコーナーも設けられています。
アスワン産の赤色花崗岩などエジプト各地の石材を集めて展示したコーナーや、石像の製作工程の展示など、ユニークな展示内容も多く、展示方法にも工夫が凝らされているので、じっくりと観ると3時間以上かかるのではないかと思います。古代エジプトに関する博物館としては世界でも有数のレベルにあるでしょう。
行き方:
ミュンヘン中央駅からですとトラムに乗ってKarolinenplatz(カロリネン広場)駅で降りるのが最も便利ですが、中央駅からの距離は1km程度なので十分に歩ける範囲です。なお、少し中央駅からの道としては少し回り道になりますが、カロリネン広場には、大きな黒色のオベリスク(状の建造物)が立っています。このオベリスクはナポレオンのロシア遠征に参加したバイエルンの兵士たちを顕彰する記念碑として1833年に建てられたもので、高さは29mあります。
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オベリスクについて:
オベリスクの下にある銘板には「ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスク、ローマ時代、紀元後50年、赤色花崗岩、ローマ」と書かれており、博物館のウェブサイトの説明文(ドイツ語)には、高さは5.6mと書かれています。また、これ以外に博物館には別にオベリスクの説明があり、このオベリスクの由来がかなり詳しく説明されています。それによりますと、このオベリスクは「碑文の名前によって西暦59年にローマ帝国のエジプトの知事であったティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスに特定される」と説明されています。ただ、調べてみると英文版Wikipediaの"List of governors of Roman Egypt"では、西暦59年の皇帝領エジプトの長官はTiberius Claudius Balbillus Modestusとなっており、歴代の皇帝領エジプト長官には彼の名前は出てきません。
一方、彼の名前はローマの執政官のリストには出てきます。西暦59年に彼は帝政ローマの補充執政官に就任しています。この当時は正規の執政官は任期途中で辞任して後を補充執政官に交代する制度が採られていたので、ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスは59年7月から12月は実質的な執政官でした。(ちなみに彼の後は皇帝ネロが4回目の執政官となっています) エジプトは皇帝直轄の地域でしたので、その意味ではティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスはエジプトを間接的に統治していました。なお、このオベリスクがローマのどこに建てられたものかは分っていません。
また、博物館の説明文ではオベリスクの下の銘板には紀元後50年と書かれているのですが、説明文にはアフリカヌスが59年にエジプトの知事であったことは書かれていて、紀元後50年とは書かれていません。微妙に説明がずれているので、建てられたのがいつなのかは判然としません。
その後、彫刻家のPaolo Cavaceppiによって頂上部と底面が補修されて、1775年頃にはローマのヴィラ・アルバーニ(Villa Albani)に再建されました。さらに1797年にはイタリアに侵攻したナポレオンによってパリに運ばれ、ヴィクトワール広場にドゼー将軍の記念碑の一部として建てられました。
その後、バイエルン王国のマクシミリアン1世の王子であった頃のルードビッヒ1世がこのオベリスクを入手し、ミュンヘンに運びました。1830年から第2次世界大戦までは、このオベリスクはルードビッヒ1世が建てた古代彫刻の美術館であるグリュプトテークの"Egyptian Hall"に立っていました。日本語版Wikipediaによれば、グリュプトテークは第2次大戦の際に甚大な被害を受け1972年まで閉鎖されていましたが、グリュプトテークの修復の間に、エジプト博物館を独立して開設することが決まり、1972年にはこのオベリスクはレジデンツの一画にオープンしたエジプト博物館の入口の前に建てられ、2007年まではそこにありました。その当時の写真はこの博物館のWikipediaドイツ語版のページに掲載されています。2013年6月に現在の新しい建物がオープンしてからは、このオベリスクは屋内に展示されています。
オベリスクの置かれている場所は窓と壁の間に挟まれた狭い空間で、左右の通路からしかオベリスク全体の写真が撮れません。このため4面の全体を見渡すことは難しいのですが、4面を比較した結果ではすべて同一の碑文でした。
なお、このオベリスクの高さは博物館のウェブサイトの説明文では5.6mとなっています。ネット上では5.80mという情報が引用に引用を重ねられているので目につきますが、訂正されるべきと考えます。
撮影メモ:
このオベリスクは両側の通路からしか全体の写真は撮れないので撮影には苦労しました。窓側の面は中庭をはさんで反対側からも見えるため、中庭に出られればガラス窓越しの写真を撮ることは可能なのですが、中庭に立ち入ることはできませんした。また仮に中庭に入れたとしても、ガラス越しではガラス板が光を反射するため、良好な写真は取りにくいと思われます。新しい博物館ができる前には、オベリスクは博物館の入口の前に立っていたため、4面の写真を撮ることは容易だったので、現在の展示方法は少し残念に思います。
![]() 左面 |
![]() 左面と正面 |
![]() 右面 |
右面と背面 |
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2016年4月23日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます) |
共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org