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ナポリ国立考古学博物館のオベリスク
現在地: | イタリア、ナポリ、国立考古学博物館 北緯40°51′12.9″(40.853582) 東経14°15′01.9″(14.250525) |
パレストリーナ・オベリスク | |
創建主: | ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌス(古代ローマ貴族)(1世紀) |
高さ: | 約1.9メートル |
石材: | 赤色花崗岩 |
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場所について:
ナポリ国立考古学博物館にはファルネーゼ家のギリシャ・ローマ時代の美術品のコレクションと、ポンペイの遺跡から出土したフレスコ画やモザイク画などが展示されています。規模は大きく、著名な美術品が展示されていますので、とても見ごたえがあります。例えば、世界史の教科書の多くに掲載されているペルシャのダリウスⅢ世と戦うアレキサンダー大王(イッソスの戦い)を描いたポンペイ出土のモザイク画(写真2)などが眼を引きます。コレクションは膨大であるうえに、一度は本などで見たことがあるような高名な作品も多いので、じっくり見ると3時間くらいはかかるかも知れません。
2013年には筆者はポンペイの遺跡にも訪れたことがあるのですが、現地には展示用のレプリカが残されているだけでオリジナルの遺物は考古学博物館に収蔵されていることが分かり、2015年には国立考古学博物館を訪れたのですが、その時には、博物館の大半が改装工事中で結局見ることが出来なかったのです。その後、改装工事が終わったという情報を得たことから、2017年の5月に再訪し、ようやく参観することが出来たのです。
特にポンペイ出土の美術品が充実していますので、ポンペイを訪れる際にはぜひ国立考古学博物館にも立ち寄ることをお勧めします。
また、古代のコインの収集も充実していて、オベリスクの立つチルコマッシモを描いた古代ローマ帝国のセステルティウス黄銅貨2種類が展示されていました。現在のフラミニオ・オベリスクが立つチルコマッシモを描いた石版画はいくつか見たことがありますが、これらは中世になって描かれたものなのに対して、セステルティウス硬貨は、チルコマッシモにオベリスクがたっていたのと同時代に鋳造されたものであるだけに、筆者は現物を見てとても感動しました。(写真3、4)
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オベリスクが展示されているエジプト関連の展示室は2010年から長らく非公開となっていたのですが、2016年10月より再び公開されるようになりました。エジプト関連の収蔵品は、18世紀に枢機卿であったステファノ・ボルジアのコレクションが中心となっていて、オベリスクの断片もすべてボルジア家のコレクションでした。なお、エジプトの展示室は博物館の地下にあるのですが、地下へ下りる階段の場所が分かりにくいので、全館のレイアウトを示す案内図を参照するのがよいと思います。案内図は日本語版もあります。
![]() トラヤヌス帝(103-111年) ![]() カラカラ帝(213年) |
行き方:
ナポリ国立考古学博物館はナポリ中央駅 (Stazione di Napoli Centrale) から約 1.2kmほど西側にあります。決して歩けない距離でもないのですが、ナポリ中央駅に隣接する地下鉄のガリバルディ(Garibaldi)駅から地下鉄1号線を利用するのが便利です。地下鉄1号線はナポリ中央駅からいちど南西方向に向うので、少し回り道にはなるのですが、6駅目のムーゼオ(Museo)駅は国立考古学博物館に直結していますので、迷うことがありません。
この他、地下鉄2号線を利用してガリバルディ駅から2駅目のカブール(Piazza Cavour)駅まで行き、300mほど西側へ歩くという方法もあります。少し歩きますが時間的にはこちらの方が早いかもしれません。
ナポリ国立考古学博物館の入場料は6.5ユーロですが、18歳以下と65歳以上は無料です。なお、定休日は火曜日なので注意して下さい。
オベリスクについて:
ナポリの国立考古学博物館には3種類のオベリスクの断片が展示されています。ローマ帝国時代に作られたティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスクと、2種類のエジプト製のオベリスクの断片です。
● パレストリーナ・オベリスク
現在は改装されてしまっていますが、数年前までのナポリ国立考古学博物館のウェブサイトには、2010年に非公開となる前の展示室の様子が紹介されていました。そこには「ローマ時代のオベリスク」と「エジプトのオベリスクの断片」があることが掲載されていましたが、それ以上のことは分かりませんでした。
今回、国立考古学博物館を訪れて、ローマ時代のオベリスクとして紹介されていたものが、ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスクであることが分かりました。
博物館の説明文によれば、このオベリスクの断片は1791年に発見され、1797年にZoëgaによって出版された、と書かれています。おそらくこれはデンマーク人のGeorge Zoëgaによって1797年に出版されたDe origine et usu obeliscorumのことだと思われます。この本はオベリスクに関する古典的な名著のようですが、いかんせんラテン語で書かれているので筆者は読んだことはありません。
この他に2個の断片が1881年に発見されたと書かれています。発見されたのはローマから25kmほど東側のパレストリーナの町だそうです。このため、ナポリ国立考古学博物館では、このオベリスクをパレストリーナ・オベリスクという名前で展示しています。
パレストリーナにはイシス・フォルトーナ神殿がかつては建っており、現在はその跡地にパレストリーナ国立考古学博物館があります。またこの博物館にもオベリスクの断片2個が展示されていることは、Wikipediaのストックフォトで筆者も知ってはいました。
博物館の説明文には、このオベリスクがミュンヘンのバイエルン州立エジプト美術博物館に展示されているティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスクと対であることが記載されています。確かに2016年4月にミュンヘンのエジプト美術博物館を訪れたときに撮影した碑文と比較すると、同一の文面ではないのですが、似たような箇所が多く見られ、確かにペアであるようです。また、碑文の特徴から見て、上記のパレストリーナ国立考古学博物館にある断片も、このオベリスクの一部です。
ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスは西暦59年にローマ帝国の補充執政官となり、7月から12月は実質的な執政官として政務を執りました。このオベリスクが作られたのは、おそらくこの頃でしょう。なお、ミュンヘンのエジプト美術博物館の説明文にも建設された場所は不明となっていますが、ナポリ考古学博物館の説明文も、立てられた場所はローマと書かれており、断片が見つかったパレストリーナとは書いてはいない点には留意する必要があるかもしれません。
このオベリスクの断片は、4個の断片の一部を繋ぎ合わせて展示されており、博物館のガイドブックによれば高さは1.9m、幅は最も太いところで46cmです。ミュンヘンのエジプト美術博物館に展示されているオベリスクは底辺部の太さは60cmほどありますので、2本は同時期に作られたものであるにしても、2本ペアで建てられたのではないものと筆者は考えています。
写真6の説明図からすると、展示されているのはオベリスクの下の方の部分で、写真5の面は写真6の説明図の左から2番目に相当します。また写真6の説明図の上部と中央部の2個の断片は、パレストリーナ国立考古学博物館に展示されているものと碑文が一致しています。
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2017年5月8日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)
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● モンテチトーリオのオベリスクの断片(写真7)
ナポリ国立考古学博物館にはエジプトのオベリスクの断片が2種類展示されています。こちらは「モンテチトーリオのオベリスクの断片」として展示されているもので、博物館のガイドブックによれば、高さは2.15m、幅は63cm、厚さは12cmとされています。
元来はヘリオポリスに2本一組で立っていたもので、第3中間期第26王朝のプサメテク2世によって建てられたものです。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、紀元前10年に2本のオベリスクをヘリオポリスからローマに運び出しました。そのうちの1本がこれで、日時計の柱として建てられました。王が貢物を捧げている図柄が分かりますが、オベリスクの最も下側にしばしば描かれているものです。
モンテチトーリオのオベリスクの写真(写真8)を改めて見直しましたら、オベリスクの4面とも、下方部は失われていて、他の石材によって補われていることがわかりました。比較的にオリジナルの部分が多く残っている南面でも、下側の約1/4は補修されていることが分かります。このため、この断片がどこに当てはまるのかは判然としません。また、モンテチトーリオのオベリスクは損傷が激しいとはいえ、元の部分が残っているところは碑文の彫りは深くて、輪郭も鮮明なのですが、この断片はかなり磨耗しているように見えます。このため説明されなければ、とてもモンテチトーリオのオベリスクとは見えません。
あくまでも筆者の想像ですが、モンテチトーリオのオベリスクは倒壊後に地中に埋もれていたのに対して、この断片は地上に露出したままになっていて風雨に曝されていたのかもしれません。
![]() (写真7)モンテチトーリオの オベリスクの断片 |
![]() (写真8)モンテチトーリオの オベリスクの南面 |
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2017年5月8日 モンテチトーリオのオベリスクは2014年8月11日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)
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● ラテラン・オベリスクの断片(写真11)
博物館の説明文(写真13)には「ラムセス2世の名前があるオベリスクの下部の断片(Lower fragment of obelisk with the name of Ramesses II)」と書かれているのですが、説明文を読んでいくと、この断片はラテラン・オベリスクと呼ばれる、もとはトトメス3世とトトメス4世によってカルナックのアメン大神殿に建てられたオベリスクの断片であることが分かります。
博物館のガイドブックにはこの断片は記載されていませんが、並んで展示されているモンテチトーリオのオベリスクの断片の写真と比較すると、高さは106cm、幅は74cmです。
ラテラン・オベリスクの写真と見比べてみますと、オベリスクの最下部が残っているのは南面と西面の一部で、東面と北面は他の石材で補われて、かなり適当な碑文のような模様で補われていることが分かります。
この断片はラテラン・オベリスクの北面(写真12)の最下部の右側か、東面の最下部の断片ではないかと筆者は考えています。
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ところで、説明文にもあるように、この断片にはラムセス2世の誕生名(右行)と即位名(左行)が彫られていることが分かります。しかしながら、ラテラン・オベリスクにはトトメス3世やトトメス4世の名前が彫られていることは承知していましたが、ラムセス2世の名前があることは記憶になかったのです。
そこでインターネットで探してみたのですが、ラテラン・オベリスクにラムセス2世の名前があることを示す記事は容易には見つかりませんでした。かなり探し回った結果、1879年に英国で出版された"THE TWELVE EGYPTIAN OBELISKS IN ROME"(John Henry Paker)という本にローマのオベリスクの碑文の英訳が掲載されていて、ラテラン・オベリスクの"At the base"という箇所(14ページ)にラムセス2世の名前が出てくることが分かったのです。
次に筆者がこれまでに撮影してきたラテラン・オベリスクの写真を調べましたが、最下部のレリーフが残っているのは南面だけであることが分かりました。しかし、現在当サイトで掲載している南面の写真は、オベリスク全体が写っているので、最下部のラムセス2世の名前らしき箇所は、オベリスク全体の中の写真の中では小さすぎて不鮮明にしか写っていません。
ラテランオベリスクはローマに行くたびに訪れていますので、過去に撮影した写真をさかのぼって探したところ、2013年8月11日にオベリスクの南面の下部を撮影した写真(写真10)があるのが見つかりました。そこにはラムセス2世の即位名と誕生名の上側が確かに写っていたのです。
![]() (写真11)ラテラン・オベリスクの断片 |
![]() (写真12)ラテラン・オベリスク北面 |
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2017年5月8日 ラテラン・オベリスクは2014年8月11日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)
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撮影メモ:
ナポリ国立考古学博物館のエジプト展示室の説明文は、大変親切だと思いました。例えば、「ラムセス2世の名前があるオベリスクの断片」というだけの説明文であっても、世界の博物館の平均レベルからは致し方ないと思われるのです。ところが、ナポリ国立考古学博物館の場合には、ミュンヘンのエジプト美術博物館のオベリスクと対であること、ラテランオベリスクの断片、モンテチトーリオのオベリスクの断片と、一歩突っ込んだ説明が行われているのです。さらっとしたさりげない説明ではあるのですが、きちんと調査された結果が記述されていることには感銘を受けました。オベリスク以外の展示品も大変充実していますので、イタリアを訪れる際にはぜひナポリの国立考古学博物館まで足を伸ばして欲しいと思います。
共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org