フィラエのオベリスク オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  ウィンボーン、キングストンレーシー・ハウス&パーク
北緯
50°48′34.9″(50.809695) 西経2°01′57.8″(-2.032726)
創建王:  プトレマイオス9世(プトレマイオス朝、在位 紀元前2~1世紀)
高さ:  オベリスクのみ 3.66 メートル
(他に対のオベリスクの断片 約1m)
石材:  桃色花崗岩

場所について:
 キングストンレーシー・ハウス&パークは、17世紀に司法長官を務めたサー・ジョン・バンケスが土地を所有して以来のバンケス家の荘園と屋敷です。1981年にナショナル・トラストの管理となり、いまでは一般に公開されています。
 この屋敷は広大な庭や森、畑で囲まれていて、敷地面積は実に 164万㎡(皇居の約 1.4倍)もあります。キングストンレーシー・ハウスの中心的な建物であるキングストン・ホールは 1665年に建設されたものです。建物の内部も公開されていて、The Spanish Room という部屋の内装が素晴らしいほか、ルーベンスやヴァン・ダイクの絵画、調度品などが展示されています。屋敷の南側は広大な庭園になっていて、正面にフィラエのオベリスクが立っています。

kingston_lacy2.jpg キングストン・ホール

 1786年にバンケス家にウィリアム・ジョン・バンケスが誕生しました。この人は英国の代表的な詩人の一人であるバイロンの友人としても知られていますが、エジプト学者、美術収集家、旅行家といった肩書きで紹介されています。ウェストミンスター・スクールからケンブリッジのトリニティ・カレッジに進んだ典型的な英国上流階級の人物です。
 1815年にイタリア人の探検家のジョバンニ・バチスタ・ベルツォーニが、アスワン近郊のフィラエ島でイシス神殿に残っていたこのオベリスクを発見しました。その後バンケスはベルツォーニからこのオベリスクを買い取り英国に運び出しました。ただこれには異説があって、発見者はバンケスで、英国に持ち出す際にベルツォーニを雇ったとするものもあります。いずれにしても1821年にオベリスクは英国に到着しました。さらにバンケスは後年には壊れていたもう1本のオベリスクの断片も入手しています。
 また、バンケスはオベリスクだけではなく、大きな石棺やスフィンクス、ステラなども入手して自宅に運び込みました。現在でもオベリスクの立っている庭園には、石棺やスフィンクスが置かれているほか、キングストン・ホール内の地下室にはステラやシャブティ(副葬用の人形)などが展示されています。

kingston_lacy_text.jpg 碑文のようす
ウォーリス・バッジの原図に
東西南北 各面の注釈を入れた


行き方:
 キングストンレーシー・ハウス&パークは、イギリス南部ドーセット州のウィンボーンの郊外にあるのですが、ここに行くのはかなり大変です。公共交通を利用する場合、ロンドンからですとウォータールー駅から鉄道でプールかボーンマスに行き、そこからバスでウィンボーン・スクエアまで行きます。さらにタクシーでキングストンレーシー・ハウス&パークに向かうことになりますが、合計で3時間以上かかります。筆者はロンドンからレンタカーを運転して行きましたが、高速道路は渋滞していたところもあったので、やはり3時間近くかかりました。英国は日本と同じ左側通行で、車も右ハンドルですから、運転は比較的に容易なのですが、レンタカーはマニュアル車が圧倒的に多いので、オートマ車が必要な場合には必ず予約をしておきましょう。また、ウィンボーンの近くになると道が分かりにくくなりますから、カーナビは必須だと思います。

オベリスクについて:
 上記のようにアスワンの近くのフィラエ島のイシス神殿に対で建てられていたオベリスクです。プトレマイオス朝の紀元前118年から80年にかけて断続的に在位したプトレマイオス9世と妻のクレオパトラ3世の名前が入った碑文が彫られています。
 このオベリスクが極めて重要なのは、ヒエログリフの解読に決定的な役割を果たしたからです。ヒエログリフを解読したシャンポリオンは、ヒエログリフ(聖刻文字)、デモテッィク(民衆文字)とギリシャ語で書かれたロゼッタ・ストーンを見て、プトレマイオスとクレオパトラの王名を示すカルトゥーシュを比較し、p, t, l, o などを表す表音文字を同定したというように書かれている本が多いのですが、実際にはロゼッタ・ストーンにはプトレマイオスの王名は繰り返し書かれていても、クレオパトラの名前は書かれていないのです。つまりロゼッタ・ストーンだけではヒエログリフを解読することはできないのです。
 このオベリスクは、本体のヒエログリフ以外に、台座にはギリシャ語で碑文が書かれていました。ヒエログリフの文面を正確にギリシャ語に訳したものではないのですが、似たようなことが書かれていて、そこにはプトレマイオスとクレオパトラの名前もありました。バンケスはヒエログリフとギリシャ語の碑文を記録して、それを各国のエジプト学者に送っていたのです。シャンポリオンはバンケスが送った記録を見て、クレオパトラのヒエログリフと比較することができたわけです。
 英国の気候は乾燥したエジプトの気候とは大きく異なっているため、残念ながらこのオベリスクは当地に運ばれてから風化していて、2014年の夏に現地を訪れた時には、オベリスクには苔類が生えて黒く変色していましたし、ヒエログリフの碑文は、もともと深彫りされていないこともあって、かなり痛んで見にくく、台座に彫られていたというギリシャ語の文章に至っては、目視では存在さえも全く分かりませんでした。
 筆者が現地を訪れた直後の2014年10月から2015年にかけて、オックスフォード大学の古文書研究センターなどが、このオベリスクの再調査を行いました。目視では読めなくなっている碑文を最新のデジタル技術によって調べ直す作業が行われたのです。その時にはオベリスクの周囲には足場が組まれ、清掃も行われたらしく、筆者が2016年5月に現地を再訪した時には、オベリスクの特に南面がきれいになっており、南面の台座に彫られているギリシャ語の碑文も、ギリシャ文字が書かれていることが目視でも分るぐらいになっていました。

cleopatra in greek 南面の台座の右上側のギリシャ語碑文
ΚΛΕΟΠΑΤΡΑの文字が見える


 現在の碑文の状況はデジタル技術を駆使しなければならないほど劣化しているのですが、幸いなことに風化が進んでいなかった頃に碑文の写しが作られており、ウォーリス・バッジの"Cleopatra's Needles and Other Egyptian Obelisks"には碑文の写しが掲載されています。同書は既に著作権が切れていますので、図面を参考までに示します(図をクリックすると高解像度の画像が開きます)。写しと写真を見比べて東西南北の面がどの碑文になるのか筆者が注釈を入れています。シャンポリオンがヒエログリフを解読する鍵となったクレオパトラのカルトゥーシュは、北面の中央付近にあるのですが目視で判別するのは難しいです。


もう1本の断片 もう一方のオベリスクの断片

 なお、ウィリアム・ジョン・バンケスが運んだ他の1本のオベリスクの断片というのは。南面の写真でオベリスクの手前に転がっている四角い岩でした。2016年に再訪した時にはこれも清掃されていて碑文が分かるようになっていました。長さは1mほどの断片です。立っているオベリスクの碑文と比較したところ、掲載した写真の手前側の側面は立っているオベリスクの東側の面と同一文章であることと、ペアであったオベリスクの最も下の部分の断片であることが確認できました。
 このオベリスクが元々建っていたフィラエ島のイシス神殿は、アスワン・ダムが完成した後はナイル川の減水期を除いて水没するようになっていました。さらにアスワン・ハイ・ダムが作られると、アブ・シンベル神殿などと同様に完全に水没することが予想されました。このためイシス神殿は隣のアギルギア島に移築されたのです。アスワン・ハイ・ダムの完成後、フィラエ島は水没したので、現在ではアギルギア島がフィラエ島と改名されています。
 余談ですが、ESA(欧州宇宙機関)の彗星探査機が、2014年の11月12日に史上初めて彗星への軟着陸に成功しましたが、探査機の名前はフィラエ、探査機を搭載していた人工衛星の名前はロゼッタと命名されています。言うまでもなく上記のヒエログリフの解読にまつわるエピソードから名付けられたものです。衛星ロゼッタは10年間に60億kmを飛行して今回の成功に至ったのですが、この成功によってフィラエ島とフィラエのオベリスクは一躍有名になりました。

撮影メモ:
 2014年に訪れた時には筆者はオベリスクにしか目的を持たずに訪れたので、実はキングストン・ホール内の展示品については帰国後に調べました。対になった大理石のオベリスクが館内に展示されていることを後で知って大変ショックでした。これが2016年に再訪した目的の一つにもなっていたので、ホール内の展示品も見てきました。このオベリスクはホールの地下のエジプト収蔵品の展示室で見つかりましたが、ペアのうちの片方は何かのメンテナンスの最中で撤去されていました。長さは40cmほどのもので、彫られているものはヒエログリフを真似た模様に過ぎず、近代に作られた模倣品だと思われます。写真はこちらのリンクから見ることができます。

kingstonlacy_north.jpg
北面

kingstonlacy_east.jpg
東面

kingstonlacy_south.jpg
南面

kingstonlacy_west.jpg
西面

2016年5月6日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org