ラムセス2世のオベリスク オベリスク全リストへ戻る

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luxor temple
ルクソール神殿の概要(出典「ブルーガイド海外版29 エジプト」掲載図面)

現在地:  エジプト、ルクソール、ルクソール神殿第1塔門前
北緯
25°42′01.0″(25.700272) 東経32°38′23.2″(32.639783)
創建王:  ラムセス2世(新王国第19王朝,在位,紀元前13世紀)
高さ:  25メートル
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 ルクソール神殿はカルナックのアメン大神殿の付属施設として、新王国時代第18王朝のアメンホテプ3世(在位 紀元前1386~1348)によって建てられ、第19王朝のラムセス2世(在位 紀元前1278~1212)によって第1塔門やオベリスクなどが増築されています。1979年に「古代都市テーベとその墓地遺跡」の史跡のひとつとして世界遺産に登録されています。
luxor_temple.jpg  ルクソール神殿は外壁が失われて柱が並んでいる様子が外から見えている部分が多く、神殿の敷地を囲むフェンス越しに神殿やオベリスクが見えます。
 右図はルクソール神殿の配置を復元した図です。神殿はナイル川にほぼ平行に建てられていて、アメンホテプ3世が建てた列柱廊から至聖所までは一直線上に配置されていることがわかります。これに対して、後から増築されたラムセス2世の中庭がある建物は、平行四辺形に歪んでいることが分かりますが、これはカルナックのアメン大神殿に至るスフィンクス参道の直線上に建物が作られたためです。
 入口を入って神殿に向かうと、まずスフィンクスが並ぶ参道を通ります。古代にはカルナックまでスフィンクス参道は続いていたので、約2kmの参道の両側にスフィンクスが左右それぞれ約400体連なっていたことになります。Goole mapの衛星写真を見ますと、スフィンクス参道は大部分が発掘されていて、カルナックの神殿複合体まで繋がっていることが確認できます。

ラムセス2世の立像

 スフィンクス参道の奥は広場になっていて、ラムセス2世が建てた第1塔門があり、塔門の手前左側にラムセス2世のオベリスクが立っています。また、塔門の左右にはラムセス2世の大きな2体の坐像と4体の立像がありますが、立像は最も右側の1体を除いて壊れています。
 第1塔門を入るとラムセス2世の中庭(第1中庭とも呼ばれる)になりますが、建物の約1/4は破壊されて、今ではイスラム教のモスクになっています。その他の部分は列柱やラムセス2世の立像(写真)が残っています。
 ラムセス2世の中庭を抜け、アメンホテプ3世が建てた第2塔門を過ぎると高さ15.8mの14本の開花式パピルス柱が並ぶ列柱廊に入ります。カルナックのアメン大神殿の大列柱室の石柱と比べても遜色の無いスケールの大きなものです。ここにはツタンカーメンとアンケセンアメン夫妻の坐像がありますが、ツタンカーメンの名前はラムセス2世に書き換えられています。列柱廊の次はアメンホテプ3世の中庭(第2中庭とも呼ばれる)になり、ここには閉花式パピルス柱が64本ならんでいます。さらにその奥は小さな部屋が連なっていて、最も奥に至聖所があります。
 ルクソール神殿を外側から見た時に印象的なのは、列柱廊とアメンホテプ3世の中庭の周囲の列柱です。外壁が失われているため列柱が直接見えるのですが、石柱は破損部分が丁寧に補修されていることもあって、整然と大石柱が立ち並ぶ光景はたいへん美しいです。なお、夜はこの列柱や第1塔門、ラムセス2世のオベリスクなどがライトアップされるので夜景も見ごたえがあります。

行き方:
 ルクソール神殿はルクソール駅の北西約400mのナイル川沿いにあります。ルクソール市内の大半のホテルから徒歩圏内にありますし、場所がナイル川沿いで分かりやすいので行くのは容易でしょう。ルクソール神殿の入口は神殿の北東側にあります。なお、ルクソール神殿から駅に向かう途中にはマクドナルドなど外国人観光客相手の店が多数あるため、外国人観光客が激減してしまった現在でも欧米人の姿が目に付きます。

luxor_temple_nightview.jpg オベリスクについて:
 第1塔門に向かって左側のオベリスクだけが残っていますが、かつては右側にも立っていて対になっていました。北西面から撮影した写真で分かりますが、右側はオベリスクの台座だけが残っています。
 19世紀初めのエジプトはオスマン・トルコの属領になっていて、ムハンマド・アリという総督が統治していました。エジプト人でもないムハンマド・アリは古代エジプトの建造物にはまったく興味が無く、英仏両国の要求を容易に受け入れる人物でした。交渉の結果、1830年にクソール神殿の2本のオベリスクはフランスに贈られたのですが、2本同時に輸送するのが不可能であれば、まずは右側のオベリスクだけを搬出することになっていました。搬出作業の責任者であったJean Baptiste Apollinaire Lebasは詳しい手記を残していますが、オベリスクを掘り出し搬出する作業は容易ではなく、結果的には1831年に右側のオベリスクだけがルクソール神殿から運び出されました。このオベリスクがパリのコンコルド広場に建てられたのは1833年10月のことです。その後、エジプトとフランスとの関係が悪化し、左側のオベリスクはルクソール神殿に残ったのです。なお、貰うのであればルクソール神殿のオベリスクにすべきだと主張したのは、ヒエログリフを解読したシャンポリオンであったと伝えられています。
 現存する左側のオベリスクは高さが25.03mで、コンコルド広場にある右側のオベリスクは22.83mです。左右のオベリスクの高さが異なっているため、左側のオベリスクより右側のオベリスクは若干スフィンクス参道寄りに建てられました。これはスフィンクス参道から入ってきた人の目には左右のオベリスクの高さが均等に見えるようにとの配慮によるものです。
 オベリスクには3行の碑文があります。碑文の1番上にはラムセス2世のホルス名が書かれていますが3行それぞれ異なった記述法が採られているところに特徴があります。また、即位名と誕生名は中央と左右の碑文では異なった表記法になっています。なお、正面(北東側)と裏側(南西側)の台座には、立ち上がって太陽を礼拝する4頭のヒヒの像があります。愛嬌のある面白い構図ですが、アブシンベル神殿で見つかったラムセス2世の小型のオベリスクにも4頭のヒヒの彫像があり、ラムセス2世のオベリスクとして共通性があります。

撮影メモ:
 ルクソール神殿には2014年8月8日の午後2時過ぎに行きました。当日の気温は42度、ルクソールでは毎日のことですが、薄雲さえも一切無い快晴で日差しもきつく、よほど水分を補給していないと炎天下を歩くのは危険です。しかし湿度が低いので日陰に入れば体感温度はかなり下がって一息つけます。ラムセス2世のオベリスクの根元は日陰になっていたので、オベリスクの碑文を眺めながら、しばらく休憩を取っていました。極端に暑い時間帯であったせいか、ルクソール神殿に私以外の観光客は一人も居ませんでした。

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北東面

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北西面

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南東面

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南西面
2014年8月8日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org