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大きな地図で見る          http://www.obelisk.co3.jp/metoro.gifは地下鉄駅を表す記号です

サルスティアーノ・オベリスク

現在地:  ローマ、トリニタ・ディ・モンティ広場(スペイン階段上)
北緯41°54′22.2″(41.906146) 東経12°28′59.6″(12.483221)
創建王:  不明。多分、1世紀か2世紀頃のローマ皇帝が作らせたもの。
高さ:  14.92 メートル(一説に 13.92 メートル)
重さ:  不明

場所について:
 このオベリスクはスペイン階段を登ったところにある広場に立っています。スペイン階段はローマの観光地の中でも知名度の高い場所で、いつも観光客で賑わっています。映画「ローマの休日」の印象的なシーン(写真)で知られていますが、きちんとオベリスクとトリニタ・ディ・モンティ教会も映っています。
 スペイン階段という名前は、17世紀のこの場所(当時はまだ階段がなく、舗装されていない坂道だった)の南側に接してスペイン大使館があったことに由来します。ただし現在のスペイン大使館はコンドッティ通り(後述)を西に 500mほど行ったところにあります。
 この独創的なデザインのスペイン階段は 18世紀、フランチェスコ・デ・サンクティス(Francesco De Sanctis)という無名の建築家の設計で 、1725年に完成したものです。
 そして 1789年、階段の上、トリニタ・ディ・モンティ広場にオベリスクが立てられて今のようになりました。フランス革命の年です。
 当時多くのローマ市民は、そんな高いところは場所が不安定で、すぐ倒れるのではないかと心配し、また美しい景観が失われるというので、その場所に立てるのに反対したそうです。しかし今ではその心配は杞憂となりましたし、ローマ有数の観光スポットとなっています。

映画「ローマの休日」の印象的なシーン 映画「ローマの休日」の
印象的なシーン


 なお、映画「ローマの休日」ではヘプバーンが演じるアン王女が、スペイン階段でジェラートを食べているシーンがありますが、2004年に制定された条例によって、スペイン広場とトレヴィの泉での飲食は禁止されています。
 女性にとっては、スペイン広場はむしろブランドストリートの入口として知られているでしょう。スペイン広場から西に延びるコンドッティ通りは、世界的に有名なファッションブランドの直営店が並んでいて、ローマきっての高級ショッピング街となっています。ブルガリ、フェンディ、ヴァレンティノの本店はコンドッティ通りにあります。
 ちなみにプラダ、ジョルジオ・アルマーニ、ドルチェ&ガッバーナはミラノが発祥の地。グッチ、サルヴァトーレ・フェラガモ、リチャード・ジノリはフィレンツェが発祥の地。ボッテガ・ヴェネタとユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトンはベネチア近くのヴィチェンツァとトレヴィーゾが発祥の地。フルラはボローニャが発祥の地です。もちろんこういったブランド各店もコンドッティ通り付近に直営店を持っています。

フラミニオ・オベリスク サルスティアーノ・オベリスク
フラミニオ・オベリスクの西面(左)と
サルスティアーノ・オベリスクの南面(右)

行き方:
 スペイン階段の上のオベリスクが建っている広場はトリニタ・ディ・モンティ広場といいます。地下鉄A線のスパーニャ(Spagna)駅がオベリスクのほぼ真下にあります。駅から一度スペイン広場に出て、スペイン階段を登ってもよいのですが、スパーニャ駅にはエレベーターがあり、トリニタ・ディ・モンティ広場の端までエレベーターで直接上がることができます。エレベータで上がった所からはオベリスクまで 200m弱なので、エレベーターを利用するのが便利でしょう。
 なお、トリニタ・ディ・モンティ広場から北西に向かうトリニタ・ディ・モンティ通り(Viale della Trinita dei Monti)という道があります。この道を行けばピンチョの丘のオベリスクまで 600mくらいです。この道は高台を通っているのでローマの市街地の景色が美しく、映画「天使と悪魔」にも背景の素材として使われていました。歩道も整備されていて交通量もさほど多くありませんから、ピンチョの丘までの順路としてお勧めします。

オベリスクについて:
 このオベリスクは古代ローマで作られたものと考えられています。誰によって作られたのかは分かっていませんが、ポポロ広場にあるフラミニオ・オベリスクを真似て作ったものであることはほぼ間違いありません。実際にオベリスクの碑文を見てみますと、例えば南面の碑文(写真右)はフラミニオ・オベリスクの西面(写真左)の文章をそっくり真似たものであることが分かります。ただ碑文の彫刻はフラミニオ・オベリスクの端正な文字に比べるとかなり稚拙です。
 このオベリスクは、今のピンチョの丘の辺りにあったサルスティウスの庭園(サルスト庭園)の地中から発見されましたので、サルスティアーノ・オベリスクと呼ばれています。
 1734年に教皇クレメント12世の治世下にサンジョバンニ広場(いまラテラン・オベリスクが立っている広場。そのときすでにラテラン・オベリスクは立っていた。)に運ばれてきたものの,その後 55年間も放置されていました。
 そして1789年、教皇ピウス6世の命により現在の場所に建てられました。仮にサンジョバンニ広場に建てられていたら、世界最大のラテラン・オベリスクと並んでいたということになります。
 サルスティアーノ・オベリスクがフラミニオ・オベリスクを真似て作られたこと自体は議論の余地がないのですが、なぜ真似て作られたのかというという疑問は沸いてきます。このオベリスクが発見されたサルスティウスの庭園は、410年に西ゴート族のアラリックによってローマが占拠された「ローマ劫掠」の際に破壊されたと考えられていますから、作られたのは1世紀から4世紀の間になります。しかしその頃には、バチカン・オベリスクのように碑文の無いオベリスクも建てられて残っていたはずですし、1世紀末にドミティアヌス帝はヒエログリフの碑文が入ったオベリスクを建てていますから、ヒエログリフを使える人も居たことになります。そしてヒエログリフが使えるのであれば、フラミニオ・オベリスクに書かれている内容も理解できたはずなので、それをコピーする意味が無いことも理解できたと思うのです。
 考えれば考えるほど、わざわざ高さ 14.92mもあるコピーを作る意味は無さそうに思えます。解決のヒントはサルスティウスの庭園がローマ皇帝の私有地で、競技場や神殿のような公的な場所ではなかったというところにありそうです。つまり、皇帝の私的な目的であればコピーを作るのも肯けるからです。

撮影メモ:
 スペイン広場に比べれば、階段の上のトリニタ・ディ・モンティ広場は混みあっていませんが、それでも午後は相当賑やかになりますから、写真を撮るのであれば午前中の方が良いでしょう。なお、西面は階段、東面はトリニタ・ディ・モンティ教会がすぐ後ろに建っているため、台座部を含んだ遠景は撮影できませんでした。また、2014年に再訪したときにはトリニタ・ディ・モンティ教会が修復工事中であったため、2016年5月に再訪した時の写真を掲載しています。北面、西面の写真は 2017年に訪れたときに撮影したものを掲載しています。

注:「ローマの休日」は著作権が切れてパブリック・ドメインになっており映像の引用は自由なので、DVDをキャプチャリングして使用しています。

spain_south.jpg
南面

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東面

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西面

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北面

南面:2014年8月11日、東面:2016年5月3日、その他:2017年5月8日 撮影:長瀬博之(画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org