切りかけのオベリスク オベリスク全リストへ戻る

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ヌビア博物から切りかけのオベリスクへ
ヌビア博物から切りかけのオベリスクへの徒歩コース


切りかけのオベリスクの衛星写真
切りかけのオベリスク衛星写真(Goole Map)

現在地:  エジプト、アスワン
北緯
24°04'36.9"(24.076920) 東経32°53'43.8"(32.895490)
創建主:  不明
高さ:  約42メートル
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 切りかけのオベリスクは、英語では"Unfinished Obelisk"と言われています。直訳すれば「未完成のオベリスク」ですが、切りかけのオベリスクと呼ばれる方が一般的でしょう。このオベリスクは1921年と1922年に英国人のエジプト学者のレジナルド・エンゲルバッハ(Reginald Engelbach)によって詳細に調査されました。その成果は"The problem of the obelisks, from a study of the unfinished obelisk at Aswan"(1923)という本にまとめられています。それによると、切りかけのオベリスクの存在自体は何世紀にも渡って知られていたとのことです。しかしながら1922年までは学術的な発掘調査が行われたことはなかったようで、なかば砂に埋もれた状態の写真も残っています。
 この本にはオベリスクの切り出し方法、輸送方法、立てる方法などが詳細に記述されています。オベリスクの切り出し方の説明は良く見かけますが、この本を下敷きにしたものが多いようです。この本はAmazonなどで復刻版が発売されていますが、ニューヨーク大学のウェブサイトなどからPDF版が無料でダウンロードできます。
 切りかけのオベリスクがある場所は、赤色花崗岩の岩山で、古代エジプトの石切場の跡です。現在では岩山全体がフェンスで囲まれていて、野外博物館として整備されています。2016年に再訪した時には入場料は50EGPでした。写真撮影は自由に行えますが、三脚等の持込みには別料金が加算されます。

行き方:
 アスワンの市街からは南に外れた場所にあります。アスワン市の中心部からはかなり離れていますので、タクシーを利用してヌビア博物館と併せて回るのが良いと思います。ヌビア博物館からは徒歩で20分ほどで行けます。ただしアスワンは4月から10月にかけての日中は非常に暑くなりますので、炎天下に歩き回るのは避けるべきです。参考までにヌビア博物館から切りかけのオベリスクまで歩いて行くコースを示します。ヌビア博物館の出入口を出たら左折して、さらに50mほど行ったら左折して坂道を下るのが近道です。

先端がつながった切りかけのオベリスク
先端と底面はまだ岩盤とつながっている

オベリスクについて:
 「切りかけのオベリスク」、あるいは英語の"unfinished obelisk"という表現は、言葉だけではそのイメージがつかみにくいですが、石切場で岩盤から切り出される途中で放棄されたオベリスクなのです。Google Mapの衛星写真を拡大していきますと岩山に横たわっているオベリスクが写っていますが、道路を走っている車(白く写っている)と比較すると、その巨大さが分りやすいと思います。この石切場は赤色花崗岩の石材の産地のひとつで、衛星写真を詳しく見てみると直方体状の石材を切り出した跡などが多数残っていることが分ります。
 オベリスクは岩盤から切り出される途中の状態で、オベリスクの周囲が掘り下げられていますが、底面と先端部はまだ岩盤につながっています。切り出される途中で放棄されたのは、工事の途中でオベリスクの本体にヒビが入ったためです。下欄の上側から撮ったオベリスクの写真を見ていただくと、オベリスクの先端の方から中央部にかけて亀裂が入っているのがよく分ります。
 現在見ることができる多くのオベリスクは、壊れた断片をつないで修復していますが、古代エジプトではこのような建て方はされず、完全に1本につながった状態の岩が使用されました。このため、切り出しの途中で岩にヒビが入ってしまったら放棄せざるを得なかったわけです。
 このオベリスクは長さが42m、重量はエンゲルバッハは1168トンと推定しています。仮に無事に切り出されて建てられていたら、古代のオベリスクとしては最大のものになったはずです。

ハトシェプスト女王のオベリスクの碑文
3本のオベリスクが描かれた碑文

 切りかけのオベリスクが誰の命令によって作られようとしたのかということについてですが、Wikipedeiaの英文ページではハトシェプスト女王が命じたものと断定しており、日本版の「未完成のオベリスク」は「おそらくハトシェプスト女王の命により作業が始められた」と記述しています。この俗説は広く知られていて、エジプトの現地ガイドもハトシェプスト女王が命じたものと説明することが多いものと思われます。ただ筆者は、ハトシェプスト説はあくまでも可能性の一つに過ぎないと考えています。
 ハトシェプスト説の根拠になっているのは、カルナックのアメン大神殿に残っているハトシェプスト女王のオベリスクの東面の碑文です。この碑文には、「2本のオベリスクの他に、永遠に生きるためにはさらにモニュメント(オベリスク)(複数形)を作ることを繰り返す必要がある。」と書かれていて、「さらに…」の部分には3本のオベリスクの絵が描かれているのです。ところが実際にはハトシェプストがその後アメン大神殿に建てたオベリスクは2本しかないので、残りの1本がこのオベリスクで、未完成に終ったのではないかという推定です。
 しかし、この碑文の英訳を記述した本は色々あるのですが、はじめの「2本のオベリスクの他に」という部分は、碑文にも2本のオベリスクが彫られていて、「2本の」と約されているのですが、後の部分は碑文には3本のオベリスクが描かれていても、訳文ではいずれも単にmonumentsと訳されていて、「3本」という数字には拘ってはいず、数値は無視されている点が気になるところです。また仮にハトシェプスト女王がさらに3本のオベリスクを作ろうとしていたとしても、これがその残りの1本だと決め付けるのは、やや短絡的な感じがします。
 エンゲルバッハは、このオベリスクには2種類のプランが描かれていて、小さい方のプランはラテランオベリスクと同じサイズだと指摘して、トトメス3世の可能性を示していますが、結論としては断定を避けています。(エンゲルバッハの著書に掲載されている2種類のプランの解説図を下欄に示します。)
 また、ウォーリス・バッジの"Cleopatra's Needles and Other Egyptian Obelisks"にも、この切りかけのオベリスクが紹介されていますが、ハトシェプストの名前は書かれていません。学術書ではハトシェプストとは断定されていない点には留意すべきでしょう。
 ただ、ハトシェプスト女王からトトメス3世の治世の頃には大型のオベリスクが相次いで作られたことも事実ですので、多くの説がこの時代のものであることを示唆しています。また他には、アメンヘテプ3世や大型の建造物を好んで作ったラムセス2世などが、このオベリスクの作成を命じた可能性も考えられるでしょう。いずれにしても、これだけの大工事を手がけることができたのは、当時のエジプトが繁栄していたことを示していますから、新王国時代の第18王朝から第19王朝にかけての頃、紀元前16世紀から紀元前12世紀の遺跡と考えてよいのではないかと思います。

アコリスの切りかけのオベリスク
 2016年2月11日の産経新聞などの報道によると、エジプト中部のアコリス遺跡を30年以上調査している日本のアコリス遺跡調査団(団長:川西宏幸筑波大学名誉教授)が、アコリス遺跡から南に10kmほど離れた石灰岩の石切場で、プトレマイオス朝の未完成のオベリスクを確認しました。(写真入りの記事のサイトへのリンク
 調査団の西本真一日本工業大学教授によれば、このオベリスクは長さが約20m、幅約2.4mで、写真を見るとアスワンの切りかけのオベリスクのように、石材の周囲が掘り下げられています。日本経済新聞の記事では、先端と根元付近で大きなヒビが見つかり、不具合が見つかったことによって放棄されたのではないかとの、西本教授の説明が報じられています。
 大型のオベリスクは新王国の第18王朝および第19王朝の頃に作られたものが多いですが、未完成とはいえプトレマイオス朝の頃にも20mもの大型のオベリスクの建造が試みられていたというのは意外でした。

撮影メモ:
 横たわっているオベリスクを地面に立って撮影しても、全体像をなかなか把握できません。上空から撮影した写真としては、10年以上前の撮影と思われるものが、しばしばウェブサイト上に引用されています。何が原典なのか分りませんが、ここではAshtronort-History's Mysteriesというサイトを紹介しておきます。多くの観光客で賑わっていますが、オベリスクの上に立つ人々とくらべると、その大きさがよく分ります。
 本来であればドローンを用いて撮影するのが理想的なのですが、ドローンはエジプトでは厳しく規制されているため、2016年に訪れた時には長さが5mの自撮り棒のようなものを用いて撮影を試みました。オベリスクの上側が写っている写真(左)に、棒に取り付けられたカメラの影が写りこんでいます。

unfinished_top
上側より撮影

unfinished_bottom
下側から撮影

エンゲルバッハの解説図
エンゲルバッハの解説図


2016年4月29日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org