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ドミティアヌスのオベリスク (パピニアーノ広場)

現在地:  イタリア、ベネヴェント、パピニアーノ広場
北緯
41°07′53.9″(41.131635) 東経14° 46′38.0″(14.777208)
創建王:  古代ローマ皇帝 ドミテイアヌス帝(1世紀)
高さ:  約3メートル(オベリスク本体)
重さ:  オベリスクのみ約2トン
石材:  赤色花崗岩
パピニアーノ広場
オベリスクが建っている
パピニアーノ広場


場所について:
 ベネヴェントはナポリの北東約 50kmのところにある山あいの都市です。周辺地域を含めた人口は約6万人です。
 古代ローマ時代にはベネヴェントはローマからアドリア海沿岸のブリンディシに至るアッピア街道の要衝でした。古代ローマの遺構としてはトラヤヌス帝の凱旋門や円形劇場などがあります。また、ローマ帝国滅亡後の 568年にはゲルマン系のロンゴバルト族がイタリアに侵入しましたが、ロンゴバルト族はベネヴェントにベネヴェント公国を興しました。
 2011年にはイタリア各地に残るロンゴバルド王国時代の建造物や遺跡など7件が『イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)』として一括してユネスコの世界遺産に指定されました。市内のサンタ・ソフィア教会は7件のうちのひとつで「サンタ・ソフィアの建造物群」として世界遺産になっています。

行き方:
 ローマのテルミニ中央駅からベネヴェントに直通で行く列車が出ていて、2時間弱で着きます。ただし本数は少ないので事前に時刻表を調べておく必要があります。
 また、距離的にはナポリからの方が近いのですが、ナポリとベネヴェントの間は鉄道の便はあまり良くなくて、むしろ長距離バスが主要な交通手段になっているようです。ベネヴェントの鉄道駅は町の中心部から北に 500mほど離れています。
 駅を出たら左斜め前の噴水の先に見える大通り(Via Principe di Napoli)を直進すると、カローレ橋があり川を越えます。さらに直進するとドゥオーモの手前でこの町のメインストリートであるガリバルディ通り(Corso Giuseppe Garibaldi)に出ます。
 ガリバルディ通りを左に折れ(東方向に)200mほど行ったところにオベリスクがあるパピニアーノ広場に着きます。見た感じでは広場というほどの広さではなく、隣接するビルの1棟分くらいの広さの土地です。

benevento_latin.jpg
OBELISCUM
ALTERUM EX DUOBUS
A DOMITIANO IMPERATORE

OBELISK
one of the two
by Emperor Domitian

オベリスクについて:
 ベネヴェントでは古代ローマの頃にはイシス信仰が盛んに行われていて、ドミティアヌス帝(在位 81-96年)がこの地にイシス神殿を建て、2本のオベリスクを奉納しました。Società Storia del Sannioなどの記述によれば、このオベリスクは断片に分かれていたものが修復されて、1597年にベネヴェントのドゥオーモの前に再建され、1869年まではそこに立っていました。1872年に現在の場所(パピニアーノ広場)に再建されましたが、その後1892年にピラミディオン部分が発掘されたので、1893年に現在の姿に作り直されました。
 なお、1903年に、アルメリコ・メオマルティーニという人物によるトラヤヌス帝の凱旋門の付近の発掘調査が行われ、イシス神殿の遺跡が発見されて、多数のイシス神の彫像などや倒れたオベリスクが発掘されました。それはパピニアーノ広場のオベリスクとペアで、現在は同じベネヴェントにあるサンニオ博物館の分室に収蔵されています。(サンニオ博物館のドミティアヌスのオベリスク
 イシス神殿の遺物以外の発掘品はサンニオ博物館の分室でない方、つまりサンタ・ソフィア教会の横にある元修道院の建物に収蔵されています。
 オベリスクにはヒエログリフの碑文があるほか、台座の部分にはローマ帝国時代に彫られたラテン語とギリシャ語による説明が残っています。このオベリスクのヒエログリフの解読は、ロゼッタ・ストーンを解読したシャンポリオンが行ったと伝えられています。おそらく、ギリシャ語やラテン語の説明文がついていることから、まだ発展途上にあったヒエログリフの研究上、貴重な資料であったためと思われます。
 4面のヒエログリフの碑文は異なった内容が記述されていますが、4面共にドミテイアヌス帝のカルトゥーシュがあります。ただしその表記法は少しずつ異なっています。特に東側の面の碑文は鮮明に残っています。また、台座のギリシャ語とラテン語の説明文は風化がひどく、ラテン語の方は最初の3行を読み取るのがやっとでした。判読できない数文字を類推した結果が 右の文面 ですが、単純明快な内容でした。なお、ギリシャ語の碑文 のほうが保存状態は幾分良いのですが、末尾が欠損しています。筆者にはギリシャ語の素養が無いため判読できませんでした。

撮影メモ:
 8月中旬はバケーションのシーズンのため飲食店以外は閉まっている所が多く、企業の大半は休業でした。このためベネヴェントの街は閑散としていて、特に正午過ぎには人通りも途絶えて、あたかもゴーストタウンのような状態になっていました。

papiniano_south.jpg
南面

papiniano_west.jpg
西面

papiniano_north.jpg
北面

papiniano_east.jpg
東面

2014年8月13日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org