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ドミティアヌスのオベリスク (サンニオ博物館)

現在地:  イタリア、ベネヴェント、サンニオ博物館
北緯
41°07′03.0″(41.129816) 東経14° 46′52.9″(14.781353)
創建王:  古代ローマ皇帝 ドミテイアヌス帝(1世紀)
高さ:  オベリスクのみ 2.78 メートル、台座 66 センチ
石材:  赤色花崗岩

場所について:
 ベネヴェントには2本のオベリスクがありますが、そのうちの1本はサンニオ博物館の分室に展示されています。
 ローマ帝国滅亡後の 568年にはゲルマン系のロンゴバルト族がイタリアに侵入しましたが、ロンゴバルト族はベネヴェントにベネヴェント公国を興しました。
 2011年にはイタリア各地に残るロンゴバルド王国時代の建造物や遺跡など7件が『イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)』として一括してユネスコの世界遺産に指定されました。サンニオ博物館を含むサンタ・ソフィア教会は7件のうちのひとつで「サンタ・ソフィアの建造物群」として世界遺産になっています。

元修道院の回廊 元修道院の回廊

 サンタ・ソフィア教会は 760年頃に建設されたものですが、イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院の影響があると言われています。ただ、素人目にはサンタ・ソフィア寺院の貴重性は良く分かりませんでした。教会の建物は 1688年と 1702年に起きた地震によって損傷したため 18世紀に修復され、さらに 1957年に外観が古来の形状に修復されています。
 サンニオ博物館の建物となっている修道院の建物には回廊があるのですが、回廊の柱は1本ごとに形状が異なっていて、結び目のようなユニークな形のものもありとても印象に残ります。写真をクリックしますと拡大画像が表示されます。このため、サンタ・ソフィア寺院よりも回廊の方が観光客に人気があるようです。
 なお、サンタ・ソフィア寺院の前にあるオベリスクも気になりますが、こちらは19世紀のものです。オベリスク本体には碑文はありません。台座の部分に FONTANA CHIARAMONTE A MDCCCIXと書かれていました。帰国後に調べたところ、サンタ・ソフィア寺院に関する イタリア語の Wikipedeia に詳しい説明がありました。それによると、ナポレオンがイタリアを支配していた頃に、ベネヴェントの王子となっていたシャルル・モーリス・ド・タレーラン・ペリゴールというフランスの政治家が 1809年に建てたものです。当初彫られていた台座の碑文は、1814年のナポレオンのイタリア王国の終焉によって、ベネヴェントの支配者も代わったので削られてしまい、現在の碑文になったとのことです。
 サンニオ博物館の展示室は3階建ての建物ですが、ギリシャ時代の彫像や陶器、ベネヴェントの魔女伝説に関する説明などで、エジプト関係の展示品がありませんでした。いささか慌てて博物館の職員に尋ねましたが、英語が通じる職員が居なくて困惑しました。博物館に収蔵されているオベリスクの写真を見せてようやく納得してもらい、道路の向かい側にある建物に連れて行かれました。分室のある建物にはサンニオ現代美術館(Museo d'Arte Contemporanea Sannio)があり、エジプト関連の展示は分室に移っていたのでした。後で調べてみると、ベネヴェント県庁舎の1階の一部がサンニオ博物館の分室として使われているのでした。2014年の8月にはまだ博物館の入口は整備されていなかったので、案内されなければ気付かないでしょう。
 エジプト関連の展示品は、アルメリコ・メオマルティーニがトラヤヌス帝の凱旋門の付近で発掘したイシス神殿の遺跡の出土品が主なもので、イシス神やホルス神の彫像などが多数あります。エジプトのファラオの様式で作られたドミティアヌス帝の小型の彫像が印象的でした。

行き方:
 ベネヴェントへの行き方、およびオベリスクがあるパピニアーノ広場については こちら をご覧ください。そのパピニアーノ広場から、ガリバルディ通りをさらに東に 200mほど行くと、左手に道に沿って高い鐘楼が見えてきます。鐘楼の左手前は広場になっていてオベリスクが立っています。その後方の教会がサンタ・ソフィア教会で、教会の横にある元修道院の建物がいまサンニオ博物館となっています。博物館と教会の入場券はセットになって販売されています。

オベリスクについて:
 サンニオ博物館の分室にはオベリスクの断片が2本展示されています。そのうちの1本はパピニアーノ広場にある ドミティアヌス帝のオベリスク と対のものです。博物館によりますと、1903年に出土、1916年に博物館に収蔵されたとのことです。
 展示の関係で正面と左側面からしか観察できませんでしたが、パピニアーノ広場のオベリスクと見比べると、正面は南面と対称になっていて、左側面は東面と同一であることが分かりました。頂上部分は無くなっていますが、碑文を見ると下の方はほぼ完全に残っています。
 サンニオ博物館にはもう1本小型のオベリスクの断片があります。こちらは小さな断片しか残っていません。博物館の展示説明によれば2~4世紀のものでベネヴェントのドゥオーモの近くにある Piazza Caridinal Pacca から出土したものです。碑文のヒエログリフは断片ですが、博物館では「ラーの息子」という意味であろうと推定しています。
 なお、CANALE 58というローカルテレビ局の2016年6月3日の報道によれば、サンニオ博物館のドミティアヌスのオベリスクが、米国のロサンゼルスのJ.ポール・ゲティ美術館で2018年に開催予定のエジプト美術の展覧会のために貸し出されるされることになり、その条件として痛んでいるオベリスクの修復作業が行われることが決まったとのことです。この報道ではオベリスクの米国への発送時期は記述していませんが、オベリスクは修復作業を経てから展示されることになる思われますので、2017年にはポール・ゲティ美術館に送られることになるのかもしれません。

撮影メモ:
 サンニオ博物館のドミティアヌス帝のオベリスクは、非常に照明が暗い所に置いてあるため、ストロボ撮影の許可を博物館の職員から得て撮影しました。しかも展示室の隅に置かれているため、正面と左側面の写真しか撮影できませんでした。左側面の写真の背景にはオベリスクの説明文があるのですが、その存在は帰国後に知りました。現地では照明があまりにも暗くて、説明文があることさえも分からなかったのです。残念ながらカメラの焦点がオベリスクに合っているため、説明文はピンボケで判読できませんでした。私が博物館を訪問したのが夏のバケーション・シーズンだからかもしれませんが、ほとんど参観者は居なくて、私の他には4人しかいませんでした。
 なお、ドミティアヌス帝のオベリスクは正面と左側面しか撮影できなかったため、小型のオベリスクの断片とサンタ・ソフィア寺院前のタレーランのオベリスクを掲載しています。

sannio_front.jpg
正面

sannio_left1.jpg
左側面

sannio_obelisk2.jpg
小型のオベリスクの断片

santasofia.jpg
タレーランのオベリスク

2014年8月13日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org