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大きな地図で見る          metoro.gifは地下鉄駅を表す記号です

チェリモンターナのオベリスク

現在地:  ローマ、チェリモンターナ公園(ビラ・チェリモンターナ)
北緯
41°53′0.2″(41.883397) 東経12°29′43.1″(12.495303)
創建王:  ラムセス2世(新王国第19王朝、在位 紀元前13世紀)
高さ:  オリジナルの部分のみ 2.68 メートル
台座を含め 12.23 メートル
重さ:  不明
チェリモンターナ公園の入り口のゲート チェリモンターナ公園の
入口のゲート


場所について:
 このオベリスクはローマのチェリオの丘の頂にあるチェリモンターナ公園の中にあります。
 公園の入口の右横のサンタ・マリア・イン・ドムニカ教会は内部がモザイクとフレスコ画で装飾されており観光に来る人もいます。教会の前の小さな舟の噴水も有名で、教会は「小舟のサンタ・マリア教会」と呼ばれることもあるそうです。
 チェリモンターナ公園は、元はイタリアの貴族のマッティ家の屋敷でしたが、19世紀以降は次々に所有者が変わり、1869年にはババリア(ドイツ)の貴族の所有になりました。第一次大戦中に「敵性資産」としてイタリア政府によって没収され、庭園は公園となり、マッティ家の宮殿であった建物はイタリア地理学会に贈られています。
 なお、チェリモンターナ公園から少し南に行ったところにはローマ帝国時代のカラカラ浴場の壮大な遺跡が残っています。規模が大きく一見の価値がある遺跡ですので、時間が許せば回ってみると良いと思います。

行き方:
 地下鉄B線の Colosseo 駅が強いて言えば近いですが、かなり歩きます。Colosseo 駅はその名の通りコロッセオの目の前にある駅です。コロッセオの周囲をぐるっと回って南東側にのびるクラウディア通りを行きます。クラウディア通りの沿道の右側は崖がずっと続いています。600mほど行くと右側に、教会の前に小さな舟の噴水が置かれたサンタ・マリア・イン・ドムニカ教会があり、その先がチェリモンターナ公園の入口です。

サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会 教会の前に舟の噴水がある
サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会
向こうの方に公園入口のゲートが見える


 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の裏側にあるラテラン・オベリスクからバスで行く方法もあり、筆者は2014年にここを再訪した時にはこのルートを使ってみました。


ペアのオベリスクとの比較
ペアのオベリスクとの比較
左:チェリモンターナ(東面)
右:マクテオ・オベリスク(北面)

ラテラン・オベリスクの前のアンバ・アラダム通りをはさんで西側にある時計が付いた建物( ラテラン・オベリスク の東面の写真の背景に写っています)の左側に81系統のバス停(Piazza San Giovanni In Laterano)があります。あるいは地下鉄A線の San Giovanni 駅で下車し、改札口の左側前方の階段を登るとバス停があります。ここから81系統のRisorgimento行きか673系統Rho行きのバスに乗ると、チェリモンターナ公園の入口にある停留所(Navicella-Villa Celimontana)を通るので、ほとんど歩かずに早く行き着くことができます。オベリスク巡りでここを訪れるならお勧めのルートです。
 81系統のバスは昼間は一時間に3、4本程度の運行ですが、バチカン美術館、ポポロ広場、コロッセオ、ベネチア広場、トレビの泉などの近くを通るので、ローマの主な観光地を効率よく回れる路線としてガイドブックなどにもしばしば紹介されています。
 サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会の左側にあるゲートをくぐってチェリモンターナ公園に入ると真っ直ぐに奥に向かう道があり、50mほど進んで広場まで行き、左側に曲がればオベリスクが見えてきます。
 Google mapの衛星写真で庭園の様子とオベリスクが明瞭に分かりますので確認してみてください。数年前に修復工事が行われていた時には見つけるのが難しかったようですが、少なくとも現在はそんなことはありません。あらかじめ衛星写真で確認しておけば場所を探すのに苦労することはなく、容易に見つけられます。

オベリスクについて:
 写真を見ると一見して分かりますが、元来のオベリスクは上方の一部だけで、オベリスクの下側は台座と共に作られたものです。台座を含めた全体の高さは 12.23mですが、オリジナルの部分の高さはわずか 2.68mです。下側の後から作られて継ぎ足された部分の方が長いので、これだけ見ても本来の姿は分かりません。
 このオベリスクは古代エジプトの新王国時代、第19王朝のラムセス2世によって紀元前1200年代にヘリオポリスのラー神殿(太陽神殿)の前に2本一組で建てたもののうちの1本です。
 2本共に1世紀頃にイタリアに持ち込まれ、ローマのイシス神をまつった「イセウム神殿」に建てられたことは記録にありますが、その後の詳細はよくわかっていません。
 14世紀に発見された後約100年間ほどカピトリーノの丘の上のアラコエリのサンタマリア教会の傍に立っていたようですが、その後倒れてどこかへ運び去られてしまったようです。
 16世紀後半(1582年?1584年?)ローマ上院議員達からのプレゼントとしてこのオベリスクはチリアコ・マッテイ(Ciriaco Mattei)という公爵に贈られました。彼はオベリスクをチェリモンターナのビラ(別荘)の中の競技場に建てました。
 しかし18世紀になってビラは荒廃し、オベリスクも再び倒れてしまったようです。その後スペインの政治家マニュエル・ドゥ・ゴドイ(Manuel de Godoy, 1767-1851)が一時ここに住むことになり、彼はビラを修復し、オベリスクも現在の場所に再建したのです。(1817年?1820年?)
 このように、このオベリスクは何度も再建が繰り返され、大変な辛酸をなめました。
 さらに数年前まで修復工事が行われており、Wikipedia の Villa Celimontana の項目には鉄骨の足場で囲まれた工事中のオベリスクの写真が掲載されています。
 なお、対のもう片方のオベリスクは、今ではパンテオンの前のロトンダ広場にあります( マクテオ・オベリスク 参照)。ロトンダ広場のオベリスクは本体部分が 6.34mなので、このオベリスクの元の高さも 7m程度であったものと思われます。チェリモンターナのオベリスクの東面とマクテオ・オベリスクの北面の碑文がほぼ同じ大きさになるようにして、ペアの両者を比較したのが右側の写真です。下半分が失われる前のかつての姿をイメージすることができると思います。
 碑文は各面に1行ずつ彫られていますが、特に東面の碑文の保存状態が良いです。ラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名が明瞭に分かりますが、残念ながら誕生名の下でオベリスクが折れてしまっています。
 なお、頂上のピラミディオン(三角錐の部分)にもラムセス2世の即位名と誕生名のカルトーシュが刻まれているのが分かります。

撮影メモ:
 公園の隣のサンタ・マリア・イン・ドムニカ教会を訪れる観光客はいますが、チェリモンターナ公園自体は観光地でもないのでほとんど人はいません。写真を撮影したのは正午過ぎでしたが、オベリスクの周囲には誰もいませんでした。2013年の8月にローマ市内とバチカンにある13本のオベリスクを撮影した時には、周囲が完全に無人であったのは唯一ここだけでした。
 2本のオベリスクを比較してみて分ったのですが、もしチェリモンターナのオベリスクの長さが2.68mであるなら、マクテオ・オベリスクのオリジナルの部分の長さは6.34mも無いように思います。おそらくマクテオ・オベリスクの長さとされている値は、古代エジプト製のオリジナル部分の下側の四角い岩や先端の十字架などを含んでいるものと思われます。

celimontana_north.jpg
北面

celimontana_west2.jpg
西面

celimontana_east.jpg
東面

celimontana_south.jpg
南面

2014年8月12日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org