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フラミニオ・オベリスク
現在地: | ローマ、ポポロ広場 北緯41°54′38.6″(41.910722) 東経12°28′34.8″(12.476333) |
創建王: | セティ1世(第19王朝、在位 紀元前14世紀)およびその息子ラムセス2世(同、在位 紀元前13世紀) |
高さ: | オベリスクのみ 24 メートル(一説に 23.20 メートル)/ 75 フィート 台座を含め 36.50 メートル(一説に 36 メートル) |
重さ: | 235 トン(一説に 263 トン) |
石材: | 赤色花崗岩 |
場所について:
オベリスクはポポロ広場の中央にあります。ポポロはラテン語で市民と言う意味です。ポポロ広場は古代ローマの北端の入口に当たる場所で、広場から南側に放射状に3本の道が作られています。広場の南側には双子教会として知られるサンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会が建っていますが、これらの教会は17世紀に建てられたものです。
ポポロ広場 ポポロ広場の東側の高台にある ナポレオン広場のテラスから見たところ |
ポポロ広場の北側にはサンタマリア・デル・ポポロ教会があります。教会の中のキージ礼拝堂にはベルニーニ作の「ハバククと天使」の彫像があります。残念ながらキージ礼拝堂は2014年夏には再び改修工事が始まっていて見ることができませんでした。2009年から2012年まで長らく修復工事が行われていたようですので、今回の工事も長引くのかもしれません。映画「天使と悪魔」ではポポロ広場や工事中のキージ礼拝堂のシーンがあります。ポポロ広場のシーンはロケですが、礼拝堂の中のロケは認められなかったためにセットでの撮影でした。
なお、フラミニオ・オベリスクという名称は、ポポロ広場がローマからリミニ(ローマのほぼ真北、アドリア海に面した町)に至る『フラミニア街道』の基点であることに由来しています。フラミニア街道は古代ローマ帝国の、ローマから北へ向う幹線道路で、紀元前220年にガイウス・フラミニウスによって建設されました。
行き方:
オベリスクの立つポポロ広場は地下鉄A線のフラミニオ駅から300mほど南側にあります。地下鉄のフラミニオ駅を出たところは小さな広場になっていますが、南側に進むと城壁と門が見えてきます。この城壁はアウレリアヌス城壁の名残で、門はポポロ門といいます。ポポロ門を通り抜けるとポポロ広場に出ます。筆者はポポロ広場には何度か足を運んだので、この行き方でもポポロ広場に行ったことがありますが、オベリスク巡りをする時には、スペイン階段上のサルスティアーノ・オベリスクからピンチョの丘のオベリスクを経て、ナポレオン広場から階段を下りるコースを取りました。
オベリスクについて:
このオベリスクは新王国時代第19王朝のセティ1世が作り始めましたが、セティ1世の生存中には完成せず、後を継いだラムセス2世によって完成されてヘリオポリスの太陽神殿に建てられたものです。
紀元前30年にオクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス帝、B.C. 27 - A.D. 14年)がアントニウスを破り、アントニウスと結婚していたクレオパトラ7世が自殺したことによってプトレマイオス朝は終焉しました。エジプトはローマ領となり、実質的にローマが帝政に移行した後はローマ皇帝の直轄領となりました。そして紀元前10年、アウグストゥス帝は2本のオベリスクをヘリオポリスの太陽神殿から持ち出しました。
その後多くのオベリスクがエジプトからローマに運ばれますが、このフラミニオ・オベリスクと、 モンテチトーリオ広場にあるオベリスクが、ローマに運ばれた最初の2本です。
このオベリスクはローマに運ばれたその年にチルコマッシモの真ん中のスピーナに立てられました。357年にはもう1本のオベリスクが隣に建てられました(それはいまサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場にある ラテラン・オベリスク です)。しかしこれらのオベリスクはその後倒れたのですが記録がありません。地中に埋まってしまい人々の記憶からも失われてしまいました。
このオベリスクは1586年にチルコマッシモの跡地で発見され、教皇シクストゥス5世によってポポロ広場に建てられて現在に至っています。
オベリスク本体の高さは24m、台座を含めると36.5mになります。
なお、オベリスクの周りにある四頭のライオンの噴水は、1816年~1824年にピンチョの丘が整備されたときに、一緒にポポロ広場の改修工事も行われ、その際に設置されたものです。
オベリスクの各面には3列の碑文がありますが、中央の碑文を見ると、南、北、西側の面にはセティ1世のホルス名、即位名、誕生名があるのに対して、東面にはセティ1世のかわりにラムセス2世の即位名、誕生名が彫られており、東面はラムセス2世の代になって作られたことが分かります。また、4面共に左側と右側の列の碑文にはラムセス2世の即位名、誕生名が見られるので、左右の碑文はラムセス2世の時に付け加えられたものです。4面のうち南面と西面は碑文の保存状態がよく、端正なヒエログリフが描かれていますが、最下部はいずれの面も壊れていて補修されたことが分かります。
撮影メモ:
ポポロ広場の周囲にはサンタマリア・デル・ポポロ教会など観光名所があるため観光客が多いですが、オベリスクは台座部分が高いため撮影にはさしたる支障はありません。東面の写真はポポロ広場の東側の高台にあるナポレオン広場のテラスから撮影したものです。オベリスクを見下ろす形になるため全体の構成がよく分かります。
南面 |
東面 |
西面 |
北面 |
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2014年8月11日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます) |
共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org