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ミネルヴァ・オベリスク
所在地: | ローマ、ミネルヴァ広場(サンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂前) 北緯41°53′52.7″(41.897972) 東経12°28′39.2″(12.477556) |
創建王: | ウアフイブラー王(ギリシャ名アプリエス王)(第3中間期第26王朝,在位,紀元前6世紀) |
高さ: | オベリスクのみ 5.47 メートル 頂上の飾り、象の彫像および4段の階段のある台座を含め 12.69 メートル |
石材: | 赤色花崗岩 |
場所について:
このオベリスクが立っているミネルヴァ広場は、パンテオンの近くのサンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂の前にある小さな広場です。
サンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂は、古代ローマのイシス神殿の跡地に建てられました。しかしエジプトの女神であるイシスの神殿のほかに、古代ローマの頃にはエトルリア神話の女神のミネルウァの神殿が近くに建っていたので、これらが取り違えられて「ミネルウァ神殿の上に作られたサンタ・マリア聖堂」という名称になってしまったとのことです。( Wikipedia のサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の説明などによる)
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イシス神殿の祭礼の様子、想像図
ポンペイの遺跡で撮影 |
イシスは多神教の古代ローマでも信仰されていましたが、元来がエジプト起源の女神ですから、イシス神殿の近くにはオベリスクが数多く建てられました。ここに建っているオベリスクもそのうちの1本ですが、ナヴォーナ広場のアゴナリス・オベリスク、パンテオン前のマクテア・オベリスク、ドガリのオベリスクなどは、いずれもエジプトから運ばれてきてまず古代ローマのイシス神殿の近くに建てられていたものです。
ローマのイシス神殿は今では跡形もなくなってしまいましたが、ポンペイの遺跡にはイシス神殿がかなり壊れてはいますが残っていました。その遺構には説明のためにイシス神殿での祭礼の様子を描いた絵が展示されていました(写真)。
行き方:
地下鉄A線のバルベリーニ駅(Barberini)が比較的近いですが、駅からは 700mぐらいあります。バスだと 64番系統 P.za Stazione S. Pietro 行きのバスで Largo Torre Argentina で降りると、北に 200mほどでミネルヴァ広場に行けます。
サンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂は著名な観光地ではないので、ローマ市民でも知らない人が多いかもしれません。しかしここはパンテオンのすぐ近くで、パンテオンからの距離は 100mちょっとですから、まずパンテオンを訪れてから、ここに来ることをお勧めします。パンテオンの向かって左側沿いの道を、パンテオンの裏に向かって歩いていけば、パンテオンの横を通り過ぎた辺りでミネルヴァ広場が見えてきます。なお、この道を歩きながらパンテオンを横から見ると、パンテオンの建物がレンガが積み上げられて造られているのがよく分かります。
オベリスクについて:
ミネルヴァ・オベリスクは高さが 5.47m、台座を含めても 12.69mという小さなものです。このオベリスクは、元来はナイルデルタのサイスに2本一組で立っていたもので、第3中間期第 26 王朝のウアフイブラー王(ギリシャ名のアプリエスの方が知られているようです)によって建てられたものです。この当時の首都はサイスに置かれていましたので、第 26 王朝はサイス朝とも呼ばれています。
ウアフイブラー王はあまり有名なファラオではありませんが、プサメテク2世の王子で紀元前 589年から 570年にかけて王位についていました。黒色花崗岩でできた頭像がルーブル美術館に残っています。
このオベリスクは1世紀末ごろに2本共にイタリアに持ち込まれて、ローマのイシス神殿に建てられたものと考えられています。しかしイタリアに運ばれた経緯やイシス神殿に建てられた確実な記録は残っていないようです。( Wikipedia 英文版の "List of obelisks in Rome" には、ディオクレティアヌス帝がローマに運んでイシス神殿に建てたと記述されていますが、ディオクレティアヌス帝は3世紀末のローマ皇帝で、そこまで時代が下るとは思えません。1世紀の皇帝のドミティアヌスが移築したたという説もありますので、その誤記と思われます。)
このオベリスクは現在の場所の近くで 1655年に発見され、1667年にローマ教皇アレッサンドロ7世によって再建されました。
オベリスクは象の彫像の上に載せられた構図になっていますが、この象はナヴォーナ広場のアゴナリス・オベリスクの四大河の噴水の彫像を作ったジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品です。この象の彫像によって、このオベリスクは小さくて可愛らしい逸品となっています。
SAPIENTIS AEGYPTI INSCULPTAS OBELISCO FIGURAS AB ELEPHANTO BELLUARUM FORTISSIMA GESTARI QUIS QUIS HIC UIDES DOCUMENTUM INTELLIGE ROBUSTAE MENTIS ESSE SOLIDAM SAPIENTIAM SUSTINERE. 注: 原文の V は U に直してあります |
台座の片方にはアレッサンドロ7世が 1667年7月に再建したとの由来がラテン語で書かれており、もう一面には「世界最強の動物である象に担われたオベリスクに書かれているエジプトの知識を見る者よ、堅実な知恵を持つには強い心が必要であることを理解せよ」といった意味の警句が書かれています。いささかこじつけのような感じもしますが、おそらくこれがベルニーニが考えた主題なのでしょう。
なお、このオベリスクと共に持ち込まれたもう1本の方はいまウルビーノに立っています(ウルビーノのオベリスク)。こちらは 1700年にローマ教皇クレメンス11世となるアルバーニ(Giovanni Francesco Albani)枢機卿の所有物となり、アルバーニ枢機卿の故郷のウルビーノに移設されました。
オベリスクの碑文は4面ともに1行のヒエログリフが刻まれています。ヒエログリフの保存状態は北側の面を除けば概ね良好で、ウアフイブラー王のホルス名、即位名が刻まれているのが判別できます。
撮影メモ:
ここは観光地でもなく、裏通りのような場所のため昼間でもあまり人は居ません。ゆっくり写真が撮れるところなのですが、2013年の夏には北面から撮影するのを忘れるという失敗をしました。このため 2014年8月11日の朝に再訪したときの写真を掲載していますが、この時はたまたま少人数の団体の観光客が居ました。
![]() 南面 |
![]() 東面 |
![]() 北面 |
![]() 西面 |
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2014年8月11日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます) |
共同著作・編集: 長瀬博之 nagase@obelisks.org、岡本正二 okamaoto@obelisks.org