タニス遺跡の倒れたオベリスク オベリスク全リストへ戻る
現在地:  エジプト、サン・エル・ハガル
北緯
30°58′39.8″(30.977714) 東経31°52′51.4″(31.880932)

行き方: タニスの遺跡にピラミディオン部分が残った状態で横たわっているオベリスクは4本あります。いずれも大型のもので、このクラスの弩級のオベリスクが倒れて残っているのは壮観です。タニスの遺跡はアメン大神殿が中心的なもので、参観コースはアメン大神殿の参道を奥の至聖所に向かって進むのですが、倒れたオベリスクのうち3本は、参道の奥に向かって左側に置かれており、1本は右側にあります。
 下の写真はアメン大神殿の入口付近のショシェンク3世の王墓の近くで撮影したものですが、3本のオベリスクが横たわっているのが分かります。4本目のオベリスク(D)はアメン大神殿の敷地の最も奥の聖なる池の近くにあるため、この写真には写っていません。

場所について: カイロの北東約140kmのサン・エル・ハガルという町の外れにある遺跡です。詳細はタニスの遺跡の立っているオベリスクを紹介しているページをご覧ください。

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tanis_fallen_a1.jpg ●ラムセス2世の倒れているオベリスク(A)
 アメン大神殿に入ってすぐ右手にあるオベリスクです。周囲には列柱の残骸が散乱しています。非常に細身のオベリスクで、特にピラミディオンの部分は珍しいくらい細長い形状をしています。大きく二つに割れていて、全体の長さは16m前後あります。上側が約7m、下側が約9mです。柱身の隅は摩滅してしまっていますが、碑文が非常に深く掘られているので、碑文自体は鮮明です。
 上部の拡大写真に写っている碑文はラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名と続いています。このオベリスクが倒れている場所にはペアとなるような他の断片がありませんでしたので、カイロに搬出されたオベリスクと見比べてみました。
 その結果、ホルス名はカイロ空港第1ターミナル前に立っているオベリスクの北面の碑文とほぼ同一であることが分かりました。また両者の碑文は完全には同一ではありませんでしたが、書体の雰囲気はよく似ています。カイロ空港前のオベリスクもピラミディオンが非常にとがっているのが特徴で、大きさも近いことから、このオベリスクはカイロ空港前のオベリスクとペアであったのではないかと筆者は考えています。

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上側

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下側
2014年8月5日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

tanis_fallen_b1.jpg ●ラムセス2世の倒れているオベリスク(B)
 アメン神殿の参道の左側にあるオベリスクで、参道を神殿の奥に向かって歩いていくと最初に目に付く大型のオベリスクです。どっしりとした重量感のあるオベリスクですが、おそらく下記のオベリスク(C)とペアなのではないかと思います。全体は4つに割れていて、下側の3個は厚さが1m前後の輪切り状になって互いに積み重なるように転がっています。
 下側は碑文の損傷が激しいので明確には分かりませんが、上部は全体の8割程度を占めており、この部分だけで13mほどありますので、全体は16mくらいになるものと思われます。帰国後に写真を整理していた時にはじめて、オベリスク先端部の下の日陰になった所に犬がうずくまっていることに気づきました。犬の大きさと比べると、このオベリスクが大きく太いものであることが実感できると思います。
 碑文はラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名と続いていますが、誕生名以降は損傷が激しく判読できません。

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上側

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下側(奥の方の3個積み重なっている岩です)
2014年8月5日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

tanis_fallen_c1.jpg ●ラムセス2世の倒れているオベリスク(C)
 オベリスク(B)から100mほど奥に進んだところに横たわっています。先端の形状を見る限りは上記のオベリスク(B)と雰囲気が違うようにも思いますが、これだけ弩級のオベリスクはそうあるわけでもないので、このオベリスクは上記のオベリスク(B)とペアなのではないかと筆者は考えています。
 全体は中ほどで2つに割れていて、先端のピラミディオン部分は損傷が激しいですが、ホルス名以降の碑文はきれいに残っています。また下部は、このオベリスクが作られた時の最下部までが残っています。
 なお、下側の写真に写っているのはタニスの遺跡の管理者と私のガイドですが、白いシャツを着た管理者は大柄の人だったので、最下部のオベリスクの太さは2m近いことが分かります。また、これから類推すると全長は17m前後ではないかと思います。
 碑文は端正な美しい字体で、ラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名と続いています。最下部の図柄は残念ながら左側が欠損してしまっていますが、最下部がここまで美しく残っているオベリスクは極めて少ないです。
 このオベリスクの裏側には、先端のピラミディオン部が2本ペアで立てられているオベリスクがあります。そのうちの1本が、このオベリスクの上部と下部の割れ目の間に見えています。

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上側

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下側
2014年8月5日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

tanis_fallen_d1.jpg ●ラムセス2世の倒れているオベリスク(D)
 タニスのアメン大神殿の最も奥側の聖なる池の近くに横たわっているオベリスクです。すぐ近くにはこれとペアのオベリスクのピラミディオン部が立っています。
 大きく三つ以上に割れたオベリスクの上側の2個と思われます。二つの部分の合計は約8mです。右側の写真の右側に写っている平たい岩はおそらくオベリスクの台座であったものと思います。かなり摩滅していますが割れてはいません。タニスの遺跡にはオベリスクの断片は数多くありますが、オベリスクの台座らしき石材はこれだけでした。
 碑文は端正な字体で、ラムセス2世のホルス名、即位名、誕生名と続いています。しかし、下の方に行くほど碑文の保存状態が悪くなっていくのですが、下の方の石材の文章は途中で切れているので、さらにこれより下の部分があるものと筆者は考えています。おそらく全長は10m以上あったのではないかと思います。オベリスクの奥にはアメン大神殿を取り囲んでいる日干し煉瓦を積み上げた壁の跡が写っています。このオベリスクは聖なる池からアメン大神殿に入る裏口に建っていたのかもしれません。

tanis_fallen_d2.jpg
上側

tanis_fallen_d3.jpg
下側
2014年8月5日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

撮影メモ: 一覧表の一番下のこのページまでご覧いただいて本当に有難うございます。
 倒れてはいても、これだけの大型オベリスクが集まっている大規模な遺跡でありながら、これまで、オベリスクの多くの書物やウェブサイトではタニスは無視されてきました。その一つの原因は、タニスの発掘は1930年代なので、20世紀始めに盛んに出版されていたオベリスクの本にはタニスの成果が反映されていないからでしょう。でも、それ以上に多いのは、単に作者の知識不足だと思います。故意に無視したのではなく、無知だから書きようが無かったわけです。
 屋内展示されているルクソール博物館のオベリスクは掲載しても、タニスの遺跡には触れてもおらずに、さもオベリスクを網羅したような顔をしたサイトや書籍が多いのは本当に嘆かわしいです。オベリスクのサイトの平均レベルはひどく、それに対する怒り、嘆き、悲しみが、世界各地を回り、このサイトを作る原動力となったのでした。「タニスを見ずしてオベリスクを語ること勿れ」、敢えてこの言葉をこのウェブサイトの結びとしたいと思います。


共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp