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ラテランオベリスク

古代オベリスクでは最大のラテランオベリスク

-世界各地の古代オベリスクの探訪記-

はじめに

 パリのコンコルド広場、バチカンのサン・ピエトロ広場など、著名な観光地に立つオベリスクを御存じの方は多いでしょう。しかし、エジプトでは修復されず倒れたままの物も多かったため、「外国には多数あるがエジプトには少ししか残っていない」と歴史遺産簒奪の象徴のようにオベリスクは語られることもあります。しかし、これは必ずしも正確ではありません。エジプトから外国に移されて完全な姿を保っているのは近世の数本しかないのです。また実際に文献を調べ世界各地を訪れて見ると、博物館の中庭や屋内に展示されている小型のオベリスクが多数あることが判り、その存在の確認に2013年から数回にわたって自ら世界各地を巡りました。これはその記録です。

 なお、この「世界のオベリスク」を開設して早くも10年が経ちました。コロナ禍以降はエジプトを再訪していませんでしたが、2025年に再訪してみるとエジプトでは大きな変化があり、このサイトの記述内容を更新する必要が生じました。またスマートフォン対応も必要でした。このため10年ぶりに、このほどサイト全体の大改造を実施しました。
 それぞれのオベリスクの記述については基本的には変更しておらず、スマートフォン対応がメインですが、2017年以降の変化点については修正を加えています。また、大きく変わったサン・エル・ハガルや、オベリスクの移設に伴い撤去されたカイロ空港とゲジーラ島メッサラ庭園については、過去ログとして残してあります。

▼このサイトの背景を表示

【要約】
エジプトには数本しか残っていないと言われますが、実際には多くの小型のオベリスクや断片が未紹介のまま存在します。ライフワークとして世界各地の古代オベリスクを訪れた記録です。


2013年から各地の古代オベリスクを巡り始め、2016年にこのサイトを開設しましたが、ここ数年間の変化の反映と、モバイル端末対応のために、10年ぶりにサイトの大改造をしました。特にエジプトは変化が大きいため一部は過去ログとして記録してあります。


【オベリスク所在地一覧】

国名
本数
所在地
王名、通称名
エジプト
33
カルナック、アメン大神殿 ● トトメス1世のオベリスク
ハトシェプスト女王のオベリスク
セティ2世のオベリスク
ルクソール、ルクソール神殿 ● ラムセス2世のオベリスク
ルクソール、ルクソール美術館 ◎ ラムセス3世のオベリスク(屋内展示)
カイロ、ゲジーラ島メッサッラ庭園 ◎ ラムセス2世のオベリスク
カイロ、エジプト博物館 ◎ ハトシェプスト女王のオベリスク(ピラミディオン部分)
ラムセス2世のオベリスク(上部のみ)
ラムセス2世のオベリスク(上部のみ)
ラムセス2世のオベリスク(上部のみ)
ラムセス4世のオベリスク(断片)
トトメス3世のオベリスク(断片)
王名が消されたオベリスク(断片)
ネクタネボ2世のオベリスク(断片)(屋内展示)
アマシス王のオベリスク(断片)(屋内展示)
ラムセス2世のオベリスク(断片)(非公開)
ラムセス2世のオベリスク(断片)(非公開)
ヘリオポロス、カイロ国際空港第1ターミナル前 ラムセス2世のオベリスク
ヘリオポロス、マタレイヤ センウセレト1世のオベリスク(非公開)
テティのオベリスク(非公開)
ファイユーム、ケスム センウセレト1世のオベリスク
サン・エル・ハガル、タニス遺跡 ラムセス2世のオベリスク(断片)
ラムセス2世のオベリスク(上部と断片)
ラムセス2世のオベリスク(上部と断片)
ラムセス2世のオベリスク(ピラミディオン部分と断片)
他に倒壊したラムセス2世のオベリスクや断片が多数ある。
アスワン、ヌビア博物館 ◎ ラムセス2世のオベリスク
ラムセス2世のオベリスク(屋内展示)
アメンホテプ2世のオベリスク(上部のみ)
トトメス4世のオベリスク(断片)
アトラネルサ王のオベリスク(断片)
アレキサンドリア、野外博物館(ローマ劇場跡) セティ1世のオベリスク(上部)
セティ1世のオベリスク(断片)
イタリア
20
ローマ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂裏 ● ラテラン・オベリスク、トトメス3世・トトメス4世
ローマ、ナヴォーナ広場 ◎ アゴナリス・オベリスク※、ドミティアヌス帝
ローマ、ロトンダ広場(パンテオン前) ● マクテオ・オベリスク、ラムセス2世
ローマ、サンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂前 ◎ ミネルヴァ・オベリスク、ウアフイブラー王
ローマ、モンテチトーリオ広場 ◎ モンテチトーリオのオベリスク、プサメテク2世
ローマ、スペイン階段上 ◎ サルスティアーノ・オベリスク※
ローマ、ピンチョの丘公園 ◎ ピンチョのオベリスク※、ハドリアヌス帝
ローマ、ポポロ広場 ◎ フラミニオ・オベリスク、セティ1世・ラムセス2世
ローマ、ディオクレティアヌス浴場跡 ◎ ドガリのオベリスク、ラムセス2世
ローマ、エスクイリーノ広場 ● エスクイリーノのオベリスク※
ローマ、クイリナーレ広場 ◎ クイリナーレのオベリスク※
ローマ、ビラ・チェリモンターナ ◎ チェリモンターナのオベリスク(残っているのは上部のみ)、ラムセス2世
ウルビーノ、アウレーリオ・サッフィ通り ● ウルビーノのオベリスク、ウアフイブラー王
フィレンツェ、ボーボリ公園(ビッティ宮殿裏) ● ボーボリのオベリスク、ラムセス2世
フィレンツェ、国立考古学博物館 ● 古代ローマのオベリスク※(屋内展示)
ボローニャ、市立考古学博物館 ◎ ラムセス10世のオベリスク(屋内展示)
ナポリ、国立考古学博物館 ◎ ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスク(屋内・断片)
モンテチトーリオのオベリスクの断片(屋内・断片)
ラテラン・オベリスクの断片(屋内・断片)
ベネヴェント、パピニアーノ広場 ◎ ドミティアヌスのオベリスク※
ベネヴェント、サンニオ博物館 ● ドミティアヌスのオベリスク※(屋内展示)(断片)
シチリア島カターニア、ドゥオモ広場 ● 象の噴水のオベリスク
バチカン市国
1
サンピエトロ広場 ● バチカン・オベリスク※
フランス
2
パリ、コンコルド広場 ● クレオパトラの針、ラムセス2世
アルル、レプブリック広場 ● アルルのオベリスク※
英国
6
ロンドン、ヴィクトリア・エンバンクメント ◎ クレオパトラの針、トトメス3世
ロンドン、大英博物館 ◎ ハトシェプスト女王のオベリスク(屋内展示)
ネクタネボ2世のオベリスク(屋内展示)(断片)
ネクタネボ2世のオベリスク(屋内展示)(断片)
(参考)他にトトメス3世のオベリスクの断片など非公開の収蔵品がある
ウィンボーン、キングストンレーシー・ハウス&パーク フィラエのオベリスク、プトレマイオス9世
ダラム、ダラム大学オリエント博物館 ◎ アメンホテプ2世のオベリスク(屋内展示)
ドイツ
1
ミュンヘン、州立エジプト美術博物館 ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスのオベリスク※(屋内)
ポーランド
1
ポズナン、考古学博物館 ラムセス2世のオベリスク(屋内展示)
トルコ
1
イスタンブール、スルタン・アフメト公園 ● トトメス3世のオベリスク
イスラエル
1
カイザリア、東競技場跡地 カイザリアのオベリスク※
米国
2
ニューヨーク、セントラル・パーク ◎ クレオパトラの針、トトメス3世
ニューヨーク、メトロポリタン美術館 ◎ プトレマイオス朝のオベリスク(非公開)
レバノン
2
ベイルート、国立博物館 アビ・シェム王のオベリスク(屋内展示)
ビブロス、オベリスク神殿 ● (参考)
ティルス、ヒッポドローム跡地 ● ティルスのオベリスク※(部分)
番外編 レプリカのオベリスク、切り掛けのオベリスク
エジプト
1
カイロ、農業博物館 ◎ ラムセス2世のオベリスク(レプリカ)
イタリア
1
ローマ、ヴィラ・メディチ ◎ ラムセス2世のオベリスク(レプリカ)
エジプト
1
アスワン、野外博物館 ◎ 切り掛けのオベリスク
さらに詳しく(掲載範囲・調査方針など)

注:※印はローマ帝国時代にエジプト以外の場所で作られたオベリスク ●印は世界遺産の指定地 ◎印は世界遺産の指定地がある都市


このサイトで採りあげる古代オベリスクの範囲

 オベリスクの語源はギリシャ語の「串」を意味するoveliskosです。古代エジプトでは神殿の入口などにオベリスクが建てられていて、多数のオベリスクが残っていましたから、エジプトを訪れた古代のギリシャ人が、そびえ立っているオベリスクを目にして串を連想したのでしょう。
 オベリスク状の建造物はエジプト、ローマ帝国、アッシリア帝国、エチオピアなどで作られました。当サイトではこのうち、古代エジプトおよび古代エジプトの属領で建てられたものと、ローマ帝国時代にエジプト以外のローマ帝国領で作られたものについて主に紹介します。
 エジプトに現存しているものが古代エジプトで作られたことは議論の余地がありませんが、エジプト以外の国々に現存しているものの中には、エジプト中王国時代にその影響下にあったレバノンで建てられたものや、ローマ帝国時代のイタリアで模倣されて作られたものもあります。また、イスラエルのカイザリアのオベリスクのようにローマ帝国の領土内に建てられたものもあります。
 紀元前27年にオクタヴィアヌスがアウグスタスの尊称を与えられ古代ローマは帝政に移行しましたが、クレオパトラ7世が自殺しプトレマイオス朝のエジプトが滅亡してローマに編入されたのは、その直前の紀元前30年のことです。ローマ帝国時代にはまだ皇帝領(のちには属州)としてのエジプトは残っていました。つまりエジプトとローマ帝国が同時期に存在し、エジプトはローマ帝国の一部となっていたわけですから、この時期について言えばエジプト製、ローマ帝国製と区別すること自体が困難になるわけです。また、ローマ帝国時代のイタリアで作られたものであっても石材がエジプトから運ばれてきたものもあり、ヒエログリフの碑文が彫られたものもあります。このような背景から、両者を明確に区別することは難しく、多くの書物やウェブサイトでは、ローマ帝国製と古代エジプト製の区別はされずに、共に古代エジプトのオベリスクとして紹介されていることが多いです。このウェブサイトでも区別しないで、これら一連のオベリスクを紹介しています。

 なお、古代エジプトで建てられたものであっても、オベリスクとしてカウントされていないものがあります。ファイユームのセンウセレト1世のオベリスクがその例です。センウセレト1世のオベリスクはカイロ近郊のヘリオポリスにあるものが有名ですが、ファイユームにはもう一本、オベリスク(状の建造物)が残されています。しかし頂上の部分が四角錐ではないためか、オベリスクに関する本やウェブサイトでは古代オベリスクには含まれていない場合があります。ただ、注釈つきで記述している専門書もありますので、このウェブサイトでは、これらのオベリスクも含めて紹介しています。

 古代エジプトではオベリスクは太陽神を祭る神殿の入口の両側に2本ペアで建設されるのが慣例となっていました。初期の頃は太陽神殿に建てられていましたが、紀元前2,000年ごろの中王国時代に、それまではテーベの守護神で豊穣の神であったアメン神が太陽神であるラーと一体化して信仰されるようになってからは、カルナックのアメン大神殿のようにアメン神殿の入口にもオベリスクが建てられました。
 一方、現在のローマ市には重要な教会や宮殿の正面の広場などにオベリスクが立っていますが、それは中世以降になって再建されてからのことで、ローマ帝国ではオベリスクは円形競技場のスピーナ(中央分離帯)かイシス神殿の前に建てられていました。ベネヴェントにオベリスクが残っているのは、そこにイシス神殿があったからですし、かつてはローマ帝国の領土であったイスラエルのカイザリアや、レバノンのティルス、トルコのイスタンブール、フランスのアルルに残っているオベリスクも、元々は円形競技場に建てられたものです。これらのオベリスクも、もちろんこのウェブサイトで紹介しています。
 例外的なのはレバノンのオベリスク神殿に26本残っているものです。レバノンは古代エジプトで木材として重用されたレバノン杉の産地で、古王国時代からエジプトとの交易が行われ、エジプトの多神教の影響を受けていました。しかしレバノンのオベリスク神殿はエジプトの神ではなく、カナン人やフェニキア人などによって古くから信仰されていたラシャブを祭る神殿と考えられています。古代エジプトの影響を受けた同時代のオベリスクなのですが、古代エジプトのオベリスクとして語られることがほとんど無いのはこのためかもしれません。このウェブサイトでは参考として紹介しています。
 エジプトに残っていたり遺跡で発見された古代オベリスクが、近代になって欧米に運ばれた事例もあります。ニューヨーク、ロンドン、パリに立っているオベリスクがそれですが、その他にも各地にあります。博物館に収められている断片もあります。これらのオベリスクも、このウェブサイトで紹介しています。

 この他に古代に作られたオベリスク状の建造物には、大英博物館にあるアッシリアのオベリスクや、イタリアからエチオピアに返還されたアクスムのオベリスクがあります。このウェブサイトでは、これらのオベリスクについては記述していません。
 また、近代になって作られたオベリスク、あるいはオベリスク状の構築物も世界に無数にあります。例えばアメリカ、ワシントンD.C.のワシントンモニュメントや、アルゼンチン、ブエノスアイレスの目抜き通りの大オベリスクなどが有名です。Wikipedia ではそれらのオベリスクもカバーしていますが、このウェブサイトでは対象とはしていません。


当サイトについて

 当サイトの趣旨は、各国のオベリスクを実際に訪問した結果に基づいて、行き方や場所の紹介を含めて訪問記としてまとめたものですが、その一方で、せっかく現地に実際に訪れて現物のオベリスクを目の当たりにしてきたのですから、内外のエジプト考古学研究者、オベリスク愛好家の皆さんの利便を図ることを目的として、なるべく鮮明な写真を撮ることに心がけました。このため写真は元画像のファイルも閲覧可能とすることにいたしました。
 また、当サイトではオベリスクだけでなく、オベリスクが建っている場所そのものについても説明を加えるように努めました。所在地は場所の通称名の他に、スマートフォンやタブレット端末を片手に場所が探せるように、ナビゲーション・ソフト用の緯度、経度を示しました。さらにGoogleマップでオベリスクが建っている場所を表示しています。
 写真は基本的に筆者自身が撮影したものを使用しています。ただし逆光など撮影の環境によっては、撮影後にHDR処理を施しているものがあります。写真をクリックすると元の画素数の画像が表示されるようにリンクが張ってありますが、元画像はデータ量が大きいので注意してください。なお、写真に関しては無断引用を許可しますが、著作権は放棄していませんので、出典は明記してくださるようにお願いします。
 オベリスクの面を示す方法としては東西南北の方位を使用しています。建っている場所の状況などによって本来は正面、左右、裏面があったのかもしれませんが、再建された時に本来の方向とは異なっていたり、台座の文章や十字架の向きが必ずしも本来の方向に準じているとは思えないからです。なお、オベリスクは正確に東西南北を向いているわけでもないので、あくまでも便宜的に方位を用いていることをご了承願います。
 説明文については著作権の切れているものを除き、特定のウェブサイトや書籍のパクリにならないよう、極力一般的に知られている事項を説明しています。またオベリスクの碑文のヒエログリフに関しては、筆者の知識は素人の域を出ませんので、誤解などもあるかと存じますのでご容赦ください。また、筆者の思い込みや参考文献の記述の誤りなどもあるかもしれませんので、お気づきの点がありましたらメールでお知らせ下さい。